HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

名前

やはり、ひとのお名前をいただく瞬間というのは緊張する。なんというか、それこそ「ゲド」とつげられるような気持ちになる。自分の真の名前を告げられたわけではないのになぜだろうか?

その瞬間、その方と自分との関係が決定的に明らかになるからかもしれないと少し思う。匿名性うんぬんの話しがあるが、名前というのはやはりその人格から、社会的な立場から、もしかすると魂までひとつを示すことであるように感じる。人と人とが真に出会うということは、名乗ることによってその人の持つ関係性と相手の関係性のネットワークが「谷を越える」瞬間なのかもしれない。

古代の戦で戦いの前に名乗りをあげるという感覚も、こういう感覚なのかもしれない。