がきのころくさかりを手伝わされるのがいやだった。かまを使いながらなんと非合理的かと思った。
高校の現代国語かなにかでくさとりと間引きを関連づけて論じていた。日本のなにかいやな部分とくさとりが私のなかでしっかり結び付いた。
妻と暮らすようになってから芝生の手入れは私の仕事になった。炎天下にあたまをやかれながらする仕事は、私にとっての家庭のメンテナンスコストそのものであったかもしれない。
今は毎朝職場まわりのごみひろいとくさとりをしている。道具は使わない。ごみ袋と素手だけ。草も茎の根元からつまめばねっこから気持ち良いほどきれいにとれる。
ここで言葉にするのもはばかれるほどの毎日の習慣、それだけだ。