HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「ファウスト 第二部」

ゲーテ 作 高橋義孝 訳 (新潮文庫版)

11560行目から
(p.420 l.4〜)

ファウスト

あの山の麓に沼がのびていて、
これまで拓いた土地を汚している。
あの汚水の溜りにはけ口をつけるというのが、
最後の仕事で、また最高の仕事だろう。
そうして己は幾百万の民に土地を拓いてやる。
安全とはいえないが、働いて自由な生活の送れる土地なのだ。
野は緑して、よく肥えて、人も家畜も、
すぐに新開地に居心地よく、
大胆で勤勉な民が盛り上げた
頼もしい丘のまわりに平等に移り住むだろう。
外では海が岸の緑まで荒れ狂おうが、
中の土地は楽土となるのだ。
潮が力づくで土を噛み削ろうとしても、
万人が力を協せて急いで穴をふさぐだろう。
そうだ、己はこういう精神にこの身を捧げているのだ。
それは叡知の、最高の結論だが、
「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、
自由と生活を享くるに値する」
そして、この土地ではそんな風に、危険に取り囲まれて、
子供も大人も老人も、まめやかに歳月を送り迎えるのだ。
己はそういう人の群を見たい、
己は自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。
そういう瞬間に向かって、己は呼びかけたい、
「とまれ、お前はいかにも美しい」と。
己の地上の生活の痕跡は、
幾世を経ても滅びるということがないだろう−−−
そういう無上の幸福を想像して、
今、己はこの最高の刹那を味わうのだ。
ファウスト、うしろざまに倒れる。死霊たち、彼をだきとめ、その身体
を地面に横たえる)