HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

進撃の巨人 33巻 ネタバレあり

初期のシリーズからすれば信じられないくらい先の先にの地平に来てしまっている。「進撃の巨人」は実は次々に「壁」を超えていく作品なのではないかと。

最初の10巻くらいまではミステリー仕立てなのかと思っていた。巨人の攻撃によってこれまでの生活圏の「壁」を超えざるをえなくなったエレン。同期の中に紛れ込んだ「壁の外」、「巨人」の要素を持つ者を突き当てれば解決する物語なのかと思っていた。

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次の「壁」をめぐる攻防では、「島」の中の統一に至る物語で大団円を迎えるのかと予測していた。しかし、20巻を超える頃から大きく路線が変わってきた。「壁の外」、さらには「壁の外を超えた外」との戦いになっていった。あれだけ圧倒的だと描かれたいた「獣の巨人」すらも一定の枠組みの中の存在であることが明らかになり、「世界」全体が舞台となった。島という「壁」すらも超えたのだ。

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さらに、まもなく物語の「終わり」を迎えるこの数巻に至っては、生と死の「壁」すらも超えているように私には見える。いや、もしかすると「巨人」という存在自体が最初から生死の「壁」を示す存在であったのかもしれない。現世で食べられ、死んで亡者となったのが「巨人」だと。生と死の「壁」を超えた存在としての「巨人」、「始祖」が明らかになった。更には歴史の「壁」を超え、はるか昔に超越した能力をもったまま死んだはずの少女が巨人を作り続けてきたのだと示される。さらにさらに、生の世界の象徴であったエレンすらも生死の「壁」を超えすでに現実的な意味では「死者」として生者の世界に君臨しようとしている。そうそう、その意味ではこの物語はゲド戦記の三部作に匹敵するほどの生と死の境を示す作品となるのかもしれない。三部作の最終巻、「さいはての島へ」で閉じられるのは生の世界と死の世界の「壁」であったことが連想される。

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姿勢を正して最終巻の発行を待ちたい。

「おらおらでひとりいぐも」

映画が話題だったので、本屋で買ってきた。正直、あまり期待してなかった。しかし、本書には女性の人生一個分があますことなく描かれていた。いや、もっとかもしれない。すごい小説だった。

といいつつ、どこからこの小説を紐解いていいのかわからない。なにせこの小説の登場人物は桃子さんほぼ一人。小説の九割は独り言みたいなものなのだ。だが、その「独り言」が母としの女性、妻としての女性、娘としての女性、孫としての女性、更には歴史的存在、もっと言えば集合的無意識の女性、地球史の中の女性のようにどんどん深まっていく。ちょうど「テンペスト」で描かれた「女性」は娘、社会人、妻、恋人、母として、それぞれ分離された役割としての女性だったのと対照的。しかも、桃子さんの「老い」によって様々な「女性」像が統合されていくように感じられる。

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桃子さんの聴く「声」、桃子さんの思考の深まりに芹沢光治良の作品を思い出してしまうのは、私くらいだろうとは思う。

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晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」[1]との信念に拠り、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。

芹沢光治良 - Wikipedia

ここまでの深みを持つ小説を一体どうやって映像化したのは、興味深いが失望するリスクが高そうなので見るのはやめておく。ああ、そう、私もちょとだけ「声」が聞こえ、景色が美しく見えた人生の瞬間があったことは書いておく。

ローカルジャーナリストガイド

藤代さんにお願いして、購入させていただいた。大変興味深く拝読させていただいた。ありがとうございます!

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「ローカル」であっても守るべきこと、伝わる文章の書き方は同じかなと。取材、ファクトチェック、ストーリー、編集等だ。

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ただ、地域にいかに感心を持ち、いかに地域への「愛」がベースにあるかどうかで「ローカル」の持つ意味がかわってくるのでは?当然、全国版のニュースは視聴者全体が興味を持つ国や政府の出来事を批判的に扱うのが当たり前。世界的な影響力が大きく、ニュースバリューのあるものでなければ拡散はされない。それに対して、一定の目線をもってごくごく地域的なニュースを取り上げていただけるのが「ローカルジャーナリスト」ではないだろうか?

最近、地方のテレビ局や、BSなどは放映した後にYoutube等でその動画を企業や、地域の広報として一定期間流す流れがあるように想う。当然、スポンサーやCM出稿等の条件があるのだとは予測するが、広い意味でのSNSと「ローカルジャーナリスト」は切っても切れない。そうそう、出版に関しても解説動画や、SNSを使った読書会などの開催は当たり前になってきている。「ローカル」とネットワークの相互作用はますます大きくなっているように思える。

子供達は未来

永江一石さんのツイートに「子供たちは未来」とコメントした。コメントの後に、谷本真由美さんの「世界のニュースを日本人は何も知らない」を読んでいて幼児教育の大切さについての一文が目に飛び込んできた。

ヘックマン教授の書書『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)では、五歳までの教育は学力だけでなく健康にも影響すること、六歳時点の親の所得で学力に差がつくことなど、四〇年以上にわたる追跡をもとにした調査結果や、親とのふれあい不足により子どもの脳が萎縮してしまうという衝撃的な研究結果が掲載されています。

もう少し詳しい内容がこちらに掲載されていた。

50年近く前に行われたペリー就学前プログラムは、デトロイト市郊外で恵まれない環境に置かれている3~4歳の黒人の子どもたちに対して、2年間にわたり、1日2時間、認知力と社会的感情能力の刺激が与えられた。この子どもたちは、対照群の子どもたちと同じ学校に入れられ、40歳まで追跡調査を行った。実験群の子どもたちのIQは最初急上昇したが、10歳までにその効果は薄れていった。
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図:認知力の変化(男子)
このため、このプログラムを介入の失敗例だと考えた人が多かった。しかし、ペリー就学前プログラムは1年あたり7~10%という統計的に有意な収益率を示した。これは主として、社会的行動を促進し、非認知的なチャンネルを通して生じた。雇用、月収、喫煙習慣、犯罪などを調べると、ペリー就学前プログラムに参加した子どもたちの成功には非認知力が大きな役割を果たしていることがわかった。また、介入によって、実験群では食生活、運動、喫煙習慣、その他の局面でも改善がみられ、健康に対しても長期的にポジティブな影響を与えていた。

RIETI - ノーベル賞経済学者ジェームズ・ヘックマン教授「能力の創造」 (議事概要)

発達心理学の心得のある方なら、この5歳から6歳という年齢がどれだけ大事なのかおわかりいただけるだろう。子供たちにとっては5歳かの1年が人生にとって決定的に大事なのだ。取り返しがつかない。情緒的な発達、基本的な共感力などはこの時点で身につかなければ一生身につかないか、非常な努力と苦労の末に何年もかかってやっと獲得できる「能力」なのだ。

Netflixで「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見た。ここに出てくるヴァイオレットのように「愛しています」と手紙に書くためだけにどれほどの遠回りをしなければならなかったか。昨日書いたように私も若干「自動人形」じみた育ち方をしたところがあるので、よくわかる。

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https://www.netflix.com/watch/80182123?trackId=13752289

だから、例え世界がパンデミックになろうと、経済危機に陥ろうと、子供達は未来そのものなのだからその成長をさまたげることあってはならない。子供達に、愛をそそぐことに不足があってはならない。子供達が犠牲になってはならない。リアルな私を知っている方はどの口がそんなことを言うと避難するかもしれないが、人生の過半をとうに過ぎた私にはそう思えてならない。

鬼滅の刃 無限列車編 映画版 (ネタバレあり)

晦日だというのに映画を見に行ってしまった。煉󠄁獄杏寿郎の生き方に共感するとともに、自分の過去を思い出してしまった。

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もう今さらあらすじだの、作品紹介でもないほど有名な本作なので自分のツボにはまったところだけ。

杏寿郎が母親から「強い人間に生まれたのは弱い人たちを守るため」(趣旨)という言われて育ったと。そして、杏寿郎はその教えを最期まで忠実に守った。ここが私にはツボだった。私もある使命のもとに育てられた。前にも書いたが私の自己肯定感は決して高くはない。むしろ昔から劣等コンプレックスを持っている人間だ。その意味では私は杏寿郎とは違う人間だ。しかし、今になって自分の後まで考えるような時期になってくると、自分が正面から向き合っている使命に対してある程度「力」があるのだと自覚せざるを得ない。杏寿郎のような完璧さからはほど遠いが、自分の力は自分の周囲の方々を幸せにするためにあるとは信じて毎日生きている。繰り返すが、そう教えられてきたし、自分をそういう方向に向けて育ててもきた。いまでは知情意を一致させて自分の使命に向かっていると公言できる。

ただ、この手の生き方のアンバランスさは、不幸レーダーというか、よりかわいそうだと思う対象に惹かれてしまうことだ。夏目漱石の"Pity's akin to love"という言葉の通り、より不幸な相手を見るとほっておけなくなる。煉󠄁獄杏寿郎にそうした傾向を見てしまうのは、私の僻目だろうか。どうも毎年年末はあまり精神状態がよくないことが多い。今年は以前と比べればそれでも健康的な方だとは言えるが。

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テンペスト 原作とテレビ版

琉球王国の滅亡、琉球処分に至る激動の沖縄が見事に描かれていた。原作版では候文、英語、和歌から琉球の「琉歌」などが見事に組み合わさっている。源氏物語に匹敵する総合文学を形成していると言えるのではないだろう?これらはすべて池上永一さんが書かれたのだろうか?それとも、伝承していた文学的遺産を利用して書いたのだろうか?

ja.wikipedia.org

NHKのTV版は全く別物と捉えるべきなのかもしれまない。文学的な複合要素がなかった。ドラマとしてまとまるべく「再話」された感じ。原作、テレビ版ともに仲間由紀恵演じる主人公以外はかなり実在の人物が入っているのも興味深い。

テンペスト DVD BOX

テンペスト DVD BOX

  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: DVD

先日再放送があったのに、肝心の最終話だけ見逃してしまったのが痛恨。ネタバレはしないが、原作版のエンディングには違和感を感じた。これは池上氏の別の小説につながる描き方だったのだろうか?テレビ版はどのような終わり方だったのだろうか?

琉球王朝から沖縄に続く、伝統芸能と芸術がいかに江戸時代の薩摩藩、中国の冊封体制の二重支配に役立っていたか、その外交のすばらしさは以前から感じていた。

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更には琉球王国の終わりについても一通りは認識していたつもりだったが、やはりドラマ仕立てになると全然印象が違う。

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それにしても、琉球王国が日本文化、中国文化のよいところを受け入れ、フィクションとは言え、高度が行政実施政体を持っていたことに驚きを感じた。ちなみに、ここに出てくる外交交渉をあるリアルの仕事で役立てることができた。

ユーミンのAnniversaryが聞こえる

なぜかユーミンのAnniversaryが私の頭の中でリフレインして続けている。なぜなのだろうか?

この曲は死の床の中のパートナーを歌ったものだと直観した。以前の記事にそれを裏づける動画をリンクした。残っているようなのは幸運。

高齢者の方であっても、パートナーの死による喪失の大きさは変わらない。むしろ一人のパートナーとずっと歩んできたからこそ「かけがえのないあなたの同じだけかけがえのない私」になるのだと。死こそが二人を分けるのではなく永遠につなぐのだと。

感染症による死においては、横たわり死に行くパートナーを抱きしめ瞳を見上げることはできない。2020年だからなのか、年末だからなのか、たくさんの死を自分なりに感じて頭の中で「Anniversary」がリフレインし続けているのかと。

以前ある僧侶の方が東日本大震災についてお話をされたのを聞いた。あまりに多くの命が失われ、中には家族全てが失われた。そうした命は「弔われない命」であったと。アウシュヴィッツを見学された体験と合わせて命の大切さ、命の喪失への共感の大切さを訴えられた。今年はあまりに命について軽率に語りすぎたと反省している。