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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

12月が来れば

始まるまでは「ああ、今年こそは忘年会ないわ」といつも想うのに、始まると毎晩のような忘年会。やはり、酒を飲めば読書量は減る。仕事は減らせないから。こまったものだ。

それでも、太平洋戦争の開戦の日にあたって、以下のような文章を同僚と共有した。

以下、12月8日が太平洋戦争の開戦の日だったので戦争の話しを書きます。不快な思いをされる方もいるかもしれないので、読みたくない方は読まなくて結構です。


いまの教育では、戦前は暗黒の時代だったように教えられます。明治から昭和にかけての小説でも、映画でも見ればわかりますが、日本は封建主義の幕藩体制から開放されて、庶民はかなりの自由と繁栄を謳歌していました。帝国憲法をまじめに読み直すと立派な立憲君主制、民主主義の憲法です。大正デモクラシーなんていまの民主主義よりも立派かもしれません。尾崎行雄という政治家がいますが、演説によって首相を退陣させました。尾崎さんの本を読むと、戦前の民主主義の理解がいかに深かったかが伝わります。

尾崎行雄 民主政治読本

尾崎行雄 民主政治読本

前置きがながくなりましたが、12月8日の開戦から一気に敗戦間際へと話しを進めます。以前、知覧にいきました。沖縄戦を支援するために、特攻隊の若者が数多く飛び立った基地でした。この記念館に行くと、多くの若者の遺書や、決意を表した文章が展示されています。彼らは自分たちの攻撃が必ずしも成功するとは想っていませんでした。実に冷静に自分を見つめています。それでも、故郷の両親、恋人のために一機でも爆撃を食い止めたい、一日でも本土決戦を先に延ばしたいという決意で帰ることのできない戦闘に旅立っていきました。この辺は、「永遠のゼロ」をごらんになった方は理解できると想います。実際に、当時の米国の太平洋艦隊の旗艦、空母バンカーヒルを終戦まで戦闘不能にした戦果をあげた隊員もいます。戦後の教育では狂気の沙汰だとか、無駄死にだとか言われますが、成功率は3割程度であったと言われています。繰り返しますが、なにより隊員たちがいかに冷静に旅立っていったかの姿勢に打たれます。

今日われ生きてあり (新潮文庫)

今日われ生きてあり (新潮文庫)

知覧からの手紙 (新潮文庫)

知覧からの手紙 (新潮文庫)

一方、昭和20年8月にはソ連が条約を破って満州北朝鮮に攻め込んできます。そして、50万人とも60万人ともいわれる日本国民を違法にソ連に拘留します。戦前日本は、国家予算を超える金額を満州開発につぎ込みました。鉄工所や、鐵道、レールにいたるまでソ連は持ち帰ったそうです。多くの婦女子が犠牲になったそうです。そして、幾人かの兵士は地雷を抱いてソ連の戦車に飛び込んだそうです。それによって、せいぜい数日その戦車の進行を食い止めるくらいの戦果しかあげられないとわかっていてもです。それによって、「竹林はるかとおく」にも描かれますが、なんとか本土にまで逃げかえることができた婦女子もいました。

竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記

竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記

戦争は二度と起こしてはならない、最大限国をあげての戦争を回避すべきであることは確かです。そして、戦後70年一度も人を殺したことのない世界唯一の軍隊、自衛隊の活動を日本人として誇りに想うべきです。それでも、当時の方々はどのような想いで戦い、その遺志を未来につなげようとしたかは戦後の我々としては、学ぶべきだと私は確信しております。