HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

レイプはなぜ撲滅されなければならないか?

もちろん、刑法違反であるので「レイプ」は撲滅されるべきであることに異論はない。ただ、なぜ「レイプ」が問題であるかは考えてみる必要があるなと。大前提として、男女の間の暴力における「力」の非対称性がある。もちろん、昨今の風潮だと女子が男子をレイプするということは実際散見されるようになったがそれでも、世界を見渡せば大多数は男が女をレイプする「犯罪」だ。この前提において、女子側に「心の傷」を残すことはなぜか?戦前、戦中のような「貞操」概念が強く強調されていた状況では、まず自分のパートナー以外からセックスを強要されること自体がアウトであることはわかる。フリーセックスが普通の状態である現代において、それでも女性の心と体を傷つける行為であるのは、意に反した性行為の強要が問題であるから。あえて、なぜ性行為の強要が大きな問題となるのか考えてみたい。

なぜ自分に取ってこの問題が考えてみる必要があるかと言えば、現代の日本においてセクシュアリティがあまりに否定的に扱われていることが私には疑問であるから。世の中に男と女しか存在しなくて、いろいろな「愛」の形はあれど、男と女でセックスも含めて、魅力を感じ合い、一緒にいたいと強く思えることがまさに「性(さが)」なのだから、「レイプ」ありきでセクシュアリティを否定しなくてもいいじゃないかと正直思っている。男でも、女でも、相手を愛するのであれば、その愛を相手に伝える、相手に証明する活動は常に肯定されるべきだ。それが、どうも、最近の風潮だと、すぐにレイプ、セクハラになってしまっているように思えてならない。

「レイプ」が現代において否定されるべきなのは、男女の力の非対称性を前提に、人類史の中で「略奪婚」的性格を持つからだと私は思っている。大人の理性に基づく行動が大原則であると仮定している現代においては、「略奪婚」あるいは理性に基づかない性行為は許しがたいとなる。逆に言えば、男女ともに相手を選ぶ権利は、近代以降の市民の権利であり、義務なのだと認識されているのだと私は思う。

掠奪された7人の花嫁 特別版 [DVD]

掠奪された7人の花嫁 特別版 [DVD]

サビニの女たちの略奪(サビニのおんなたちのりゃくだつ、The Rape of the Sabine Women)とは、古代ローマの伝説的挿話の1つである。なお、この場合の "rape" はラテン語の "Raptio" にあたり、「強姦」よりも「誘拐」などに近い意味合いである。日本語では他に、サビニ女性の略奪、サビニの娘たちの掠奪、サビニ族の女達の誘拐、サビニのおとめの拉致、などともいう。

ローマがロームルスによって建国されたばかりのころ、最初の世代は女性が少なかった。子孫を残し国を維持するためには多数の未婚女性が必要だった。ローマ人はそれを近隣国に多く住み勇敢な部族であったサビニ人に求めたが、交渉は不首尾に終わった。そこでローマ人はサビニ人に奸計を仕掛け、大量の未婚女性を略奪した。不法にローマに拉致されたサビニ人女性たちはローマ人の妻になることを強要され、ローマ人の子を産むこととなった。こうしてサビニ人女性を誘拐婚することにより、ローマは国を維持発展させるための次世代を得ることに成功した。後にサビニは女性たちを奪回するためにローマと戦争を起こすが、既に子を産んでいたサビニ人女性たちは子供と引き離されることを拒み、戦争の中止を訴えた

サビニの女たちの略奪 - Wikipedia

私にとって「略奪婚」と言えば、「七人の略奪された花嫁」とか、「サビニの女たちの略奪」なのだが、現代日本においては、「略奪婚」と検索すると不倫話ばかりが出てくる。びっくり。

google:略奪婚

うだうだ書いたが、本音を言えばフェミでもなんでもいいが、セクシュアリティを否定する方々にあなた達の親はセクシュアリティを持っていなかったのか?男の女の激しい愛以外から生まれた人間がいるのか?と聞きたい。