HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

大谷選手のまんだら

先日、ある方から「現代の学校教育は目指すべき理想、ヴィジョンを完全に見失っている」という話しを聞いた。高度成長時代は成長を続ける工業を支えるために教育程度の高い、均質な労働力としての国民が求められていたという。このために、大学受験を頂点とする基本的な学力の体型が作られたという。読み書きそろばん、日本人として最低限の教養を義務教育で分担する、そして、高校は画一的な大学受験を目指す教育をすると。そして、同時に大学を卒業して、同時に就職する。「同期」入社システムにより同年代での教育は、社会人になっても続く。すべては、同じ年代、同じ教室、同じ集団で行うことによりベルトコンベアのように均質な労働力となるためにあったと。ここに対して様々な改革の取り組みがされてきたが、大同小異でなにも変わらない。強いて言えば、私達の頃は罰としてのケツバットだの、竹刀を持ち歩く教師だの普通の日常だったが、いまはなくなってしまったことか。

しかし、社会が大きく転換し、もはや均質的な労働力の提供は教育の目的ではなくなってしまった。唯一残るのは生徒自身の生き残る力を育てるということなのだが、それすらも定義が広すぎるし、そもそも教師たちが生き残る力がなにかわかっていないので、混乱は広がるばかり。更に社会の側が社会2.0だか、4.0だかわからないが大きく転換してしまった。私は「相転移」が生じたと考えている。

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そんな中、スポーツの世界ではすばらしい成果を出す学生が生まれている。例えば、大谷選手だと。高校1年の時に自分がドラフト指名1位となるためになにをすべきかマンダラの手法で分析し、実行したのだと。

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さかいマンのblog : 日本ハムの大谷翔平の高校時代の目標設定シートがマンダラチャート(B型)だった件。~自分も人生計画これで立てよう(´。`)~

もう素晴らしいとしか言いようがない。現代の教育において、中学生のあたりからはこうした自分自身の生き方、生きる目的を実践的に行動可能な形で展開する教育をもっとすべきではないだろうか?いまの中高生あたりを見ていると、本当に高度成長時代の名残のままの教育しか受けていない気がしてならない。しかも、強制的に社会生活に耐えうる生活習慣を躾けられていない。本当に日本の将来が恐ろしい。

聞きかじりにすぎないが、それぞれの教育をもっともっと実践的にすべき。国語教育においては現在の「鑑賞」的な文章読解はほとんど意味をなしていない。米国のそれを理想化するつもりはないが「人に自分の考えを的確に伝える」という目的を十分に達成するための教育が行われている。

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