HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

米国人の国語

米国人は数学ができなくても国語はできることは確信している。そして、国語のほうが実はつぶしがきく。文章下手な私が言っても説得力はないが、米国の作文教育を受けたことがある。とてもすばらしかった。どうしたら米国人から見て「正しい」英語で書けるか、論理がきちんと通るか、説得力のある文章をかけるか教えてくれた。

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私もついつい米国人の数学のできなさをネタにすることはある。だが、彼らの国語力、作文力はすごい。一緒にやってて、こーんなに数学できないのに、なんでこーんなにすごい英語が書けるんだろうと感心することばかりだった。マーケティングの実習でチームである産業のニュースレターを発行している会社のタスクを請け負った。自分で言うのもなんだが、分析力はあるので顧客層から、市場から分析して、リーチが足りないという結論をだし、1995年当時ようやく一般化してきたインターネットでサイトを開き、ニュースレターの申し込みにつなげる、将来的にはメールベースに移行するという提案の骨子をまとめた。そこから先、私の英語ではまったく説得力がないと米国人の仲間が徹底的にレポートを書き直した。見違えるような出来となった。プレゼンもまあまあうまくいった。残念ながら帰国してからだが、私を含めてこのチームにジョブオファーが来た。

どうも彼らの話しを聞いていると、小中学校くらいから先は自分をどう表現するか、どう書くかのトレーニングを国語で徹底的にやるらしい。高校のエリート校だと毎週、英文学の本を一冊くらい課題でだされてされを読んだ上でディスカッションし、レポートを欠かされるらしい。普通以下の高校での教育はひどい状況にあるのかもしれないが、あるレベル以上の国語、作文能力はすごい。そうそう、あるとても優秀な金髪碧眼の学生がいて、彼が言うには、「毎日主要紙はすみからすみまで読む。もうそういう習慣になっているから、やめられない」と言っていた。たしか最優秀賞だか、なんだか取った学生だった。

それに比べて日本の国語教育は読むのも、書くのも、決定的に量が不足しているのではないだろうか?教科書読んで、読解して終わりなんて、まったく読む、書く力がつかないだろう。毎週小説一冊とは言わない、あるいはレポートA410枚とは言わない、だが量が質を変える。もっと言えば、他の授業でも国語力を鍛えさせるべきだろう。科学の実験をしたら考察、仮定、目的、方法、分析、結論のそろったレポートを書かせる。音楽の授業でも、音楽に関する本を読んでレポートを書かせる等、等。いくらでも国語力を鍛える教育の方法はあるだろう。

数学なくせば中退が減るというのは極論だと思うが、それくらいの勢いで使える国語の教育をする方が大人になって困らないのかもしれない。もっと言えば、お金の借り方、契約書の結び方、民法の基本的知識くらいはすくなくとも高校で教えるべきだと思うのだが、どうだろうか?ちなみに、例によって米国での法律の授業は米国人と他の国の学生とでは大きな差がついていた。結構法律に関する知識を彼らは持っていた。高校で教えられているかどうかは知らない。