HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

民主主義の矛盾と歳入庁構想

森友問題、というより財務省の隠蔽体質について髙橋洋一氏が刺激的な論文を書いていた。大変共鳴した。

gendai.ismedia.jp

私のようなものが言うのも失礼だが、9日の私のエントリーと論旨がかぶっている。

行政の仕事のトレーサビリティは担保されるべきなので、これを機に行政機関はすべてクラウド文書管理、Google社のG Suiteに切り替えるというのはどうだろうか?作成されたすべの文書の、すべての訂正が記録され、すべての版をいつでも確認することができる。

決裁文書とE-Discovery - HPO機密日誌

私は、文書管理のシステムをE-Discoveryに対応したものにすればと考えたが、高橋氏の目線は公表されるべき文書をブロックチェーンを使って「公証」しようということなのだろう。

最後に、公文書管理法の改正についてだが、まず、いまの公文書管理法は、本コラム(2017年11月27日付け「森友問題で「的外れな追及」続けるマスコミには書けない、本当の結論」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53622)でも書いたように、かなりザル法である。

特に横断的な文書管理がまったくできていない。たとえば今回の件を機に、過去の文書の改ざんができないように、ブロックチェーンを使った省庁横断的な電子公文書管理の仕組みをつくる、などを考えるべきだ。

さらに踏み込んで、高橋氏は財務省を解体して、歳入庁とすべきだという主張をされている。

民主党は政権を奪取した09年の衆院選で、政権公約として「歳入庁の創設」を掲げていた。筆者はこれに期待していた。歳入庁とは、税と社会保険の徴収を一体化させるための組織であり、世界のほとんどの国が歳入庁のような組織を有している。

民主党政権はいつの間にか歳入庁を公約から下ろしてしまったのだが、今回の事件を契機に、自公政権財務省から国税庁を分離して歳入庁を作れば、災い転じて…となるだろう。

以前の大蔵省スキャンダルによる権力の源泉であった金融機関の監督機関を失った。今回は、日本全国の個人情報から法人までの税にまつわる機能を失うことになるのかもしれない。なにせ「死と税金」だけはこの世でやってくることが確実なのだ。ありえる話しだと考える。

内閣総辞職後、日本の政治は空転するだろう
 現内閣は総辞職すべきだが、その後、財務省を再編成し、現下の外交・内政をこなしていける内閣が安定するとは思えない。だが、それをもって、現状の内閣の維持を支援するというのでは、民主制度にはならない。

森友問題の現状についてブロガーのいち見解: 極東ブログ

長いが、何が「民主主義の矛盾」なのか引用する。

 棺を蓋(おお)いて事定まる(『晋書』劉毅伝)という。だが、田中角栄は棺を蓋ってなお事は定まっていない。いまだ激しい毀誉褒貶の中にある。汗牛充棟角栄論は、読者諸賢すでにご存じのとおりだが、最重要な論点にはまだ触れられていないのだ。気付かれてさえいないとまで言ったほうがいいだろう。
 それは、田中角栄こそが、唯一人の立憲政治家、唯一人のデモクラシー政治家であった、このことである。立憲政治すすんでデモクラシーの眼目は、議会を有効に機能せしむることにある。
 しからば、議会の最大の機能とは何か。自由な議論を通じて国策を決定することである。国権の最高機関として立法を行なうことである。角栄は、これを見事に実行した。そして角栄なき今、一人としてこの道を辿る者なし。
 では今、国権を行なう者は誰か。役人である。役人が法律を作り、解釈し、施行する。日本の国家権力は立法、司法、行政の三権のことごとくを役人に簒奪(さんだつ)されてしまった。デモクラシー死して、役人クラシーとなったのである。彼らの視野にあるのは、法律と前例と、自らの権限と昇進のみ。自由な意志、自由な言論とは無縁の衆生(しゅうじょう)である。
「最良の官僚は、最悪の政治家である」――役人は運命のい使(「いし」「い」は漢字 (命令))に甘んずるだけである。が、運命を駆使するところに政治家の本領がある(マキャヴェッリ)。
 役人が行なう政治ほど、危険な政治はない。戦前、戦中の軍人官僚の政治を見よ。
 かかるときに、ああ、この内患外憂――。もしもデモクラシーを信奉するならば、今こそ角栄が鑽仰(さんぎょう)される。欣求される。

小室直樹先生の訃報に接して ~ 田中角栄、小沢一郎、そして民主党代表選: 誰も通らない裏道

安倍首相と田中角栄元首相を比べることを、私は意図するのではない。ここに書かれているように民主主義は、民主主義を守るだけの力を持つ政治家がいて初めて、民主主義として機能するのだ。古代アテネペリクレスしかり。ローマのシーザーしかり。

さてペリクレスが民衆を指導している間は国制はまだ善かったが、ペリクレスの死後はずっと悪くなった。というのはこの頃になってはじめて民衆はしかるべき人々の間で評判の好くない者をその指導者としたから。これより以前には絶えずしかるべき人々が民衆の指導者であった。そもそも最初の民衆指導者となったのはソロンであり、第二にはペイシストラトスで、共に名門に生まれ知名の士であった。(以下略。アリストテレスが続いて民衆指導者としてあげているのはクレイステネス、クサンティッポス、ミルティアデス、テミストクレスなど。)<アリストテレス/村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』岩波文庫 p.55>

ペリクレス