ものすごく共感した。
人間の給与計算部門をまるごとクビにして入れ替えたIBMのシステムが820億円の損失を生み出す - GIGAZINEb.hatena.ne.jpこれに当てはまるかはわからないけど、皆さん要件定義を軽視しすぎ。技術は外注するにしても、どんなものでも「発注力」が全てってことわかった方がいい。
2018/03/05 10:11
元記事はこれ。
システム開発に深く関わっていた時期がある。まさに人事担当者だったのが、部門コンピューティングしてた。
司が凝り性な方で、4thDimensionというFileMakerのいとこくらいにあたるRDBMSで人事データベースをMac上でつくった。仕様づくりから始まり、実際のコーディングも半分くらいはやった。仕事をしていて、自分があたかも仮想環境の中に入り込んでプログラムをしているような感覚を味わった。とにかく、部門コンピューティングをしていて、全く違和感もなく、じつに楽しい思い出だ。
17年ぶりのMac - HPO機密日誌
自分で言うのもなんだが、発注者である自分自身が作っているのだから、使いやすいシステムができるのが当たり前。おかげさまで、この変化の激しい環境でも、Windowsに移植までされて十数年この会社ではこのシステムが使い続けれた。逆に、担当者を首にしてシステム化するのはあまりに抽象論であり、現実を知らない。IBMは当然そういう提案をしたのだが、なにごとも段階的にすすめる必要があるし、現場の知恵、暗黙知をシステムに活用すべきだったのだろう。
現在の私の仕事である建築、発注力ってのは確かにあると強く感じる。ここのところ、自分自身、自分の会社が使う建物を建築する機会が何度かあった。自分でいうのもなんだが、これまで部門コンピューティングと一緒でとても使いやすく、建物の目的にあった建築ができたと思っている。そこまで自分と会社を信じて任せてくれたお施主様に心から感謝するほかない。なんというか、部門コンピューティングならぬ、部門アーキテクチュアリング、部門コンストラクティングということろか。
もうちょっとだけ書いてしまえば、建築のすべてのプロジェクトでプロフェッショナルとして自分に出来得る限りの提案、アドバイス、知識技能の提供をしているつもりだが、出来上がってみると毎回みごとなまでにクライアントの個性が建物に現れている。これは、個人でも、法人でも同じだと思う。まさに発注力だと。
誰か、発注力という本を書いて欲しいものだ。