HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

『リア王』にみる痴呆性老人

先日、「ライフ・シフト」について少し書いた。その中で、「ガリバー旅行記」の不死人についての論文に触れた。

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文学にみる障害者像 スウィフト著『ガリヴァー旅行記』

この脚注にあった「『リア王』にみる痴呆性老人への対応」をある方にお願いして読ませてもらった。雑誌なので著作権の問題があるので、ここには転載できないが大変興味深い論文だった。「リア王」に思い入れがあるのは、自分が高校生の頃に演じたから。確かに、この辺の台詞回しは痴呆老人そのもの。

どうか、なぶらんでくだされ。わしは、馬鹿な、愚かな、老いぼれ。八十の坂を越えーーーそう、嘘も、いつわりもなく。それに正直に言う、どうやら正気でさえないらしい。あなた様も、こちらの方も、何やら、見覚えがある気がする、が、はっきり分からん。第一、ここがどこやら、まるで分からん。この着物も、どう考えても、覚えがない。ゆうべ、どこへ泊まったのやら、それさえ分からん。笑わんでくだされ、どうも、このご婦人は、わが娘、コーディリアのように思えてならんのじゃが。

リア王の痴呆 - HPO機密日誌

上記の論文によれば、看護のプロフェッショナルが読んでもリア王は痴呆老人の言動そのものであるらしい。そして、長女、次女が示した痴呆への無理解と非情な対応と、末娘、コーディリアの人間としての尊厳を奪わないケアがほんの短い時間であってもリアの正気を取り戻したのだと。いつか、年をとり、ごうつくばりの老人になる前に、リア王ではないが自分のささやかな王国を次代の人間にどのように継承させていくかは、痴呆に直面しかねない側の人間としては大きな問題であろう。