HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

日本的暗黙知の否定

日本の行政を変えたといえる偉業を成し遂げた方の話しを聞いた。内部にいてここまでできるのかと驚いた。「日本の地方行政は全く法律に則って行われています。この中で情熱をもって仕事をやりとげることが大切です。創造的行為は得てして新しい価値をもたらすので、既存の方々の反感を呼びます」うんぬん。

考えてみると、「法律」には暗黙知は含まれていない。言葉で明確にできることしか書いていない。それはそうだ、言葉で共有された社会秩序を守るのが法律なのだから、誰もが理解できなくてはならない。だからこそ、昔からAIと法律理解、解釈は結びつけられていた。

it-bengosi.com*1

しかし、「創造的行為」は得てして言葉にならない。まさしく「暗黙知の次元」のうすぐらい底から創造は生まれる。法律の解釈すらも変える創造も行われうるし、この創造が経済的な価値、アニマルスピリットとも呼ぶべき情熱によって起業され、新たな市場が起こり、場合によっては社会をも変革される。社会主義は廃れ、自由主義社会が飛躍的に生産性を伸ばすことによって、現代社会が生まれたことを考えれば、この法律にかけない創造的行為こそ人の文明の大事だ。

現在の日本を見ると、どうもこの法律に人を縛りつけ、創造的行為に向かわせない風潮が、以前はお役所だけに留まっていたのに、いまは社会のあちこちに見える。恐ろしいことだ。現代日本は、徹底的に暗黙知の次元を否定しているように思えてならない。暗黙知の創造には「遊び」が必要なのだが、いまの日本にはそれがない。

ちなみに、それでも、婚姻に関する法律など、よくここまで男女の(あえて書いておく)情熱や、子どもをなすということに対する自然さ、そして社会的な規範が法律化されているとは驚くとあえて書いておく。

www.kekkon-keiyaku.com

*1:ちなみに、初めてAI化されるような書き方を良くされるが、第五世代コンピューター開発の昔から法律、判例の分析、解釈をコンピューター化する試みはなされていた。