HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

欠如と充足

英語で”He who can does, he who can’t teaches.”という表現があるそうだ。「できるやつはやる、できないやつは教える」、高校の頃に、英語教師だった恩師にこの言葉をぶつけたことがある。失礼なことをしたものだ。今となってみると、一段と味わい深い。

自分ができることは、案外人に教えられない。一通りの手順は教えられる。その先は「まあ、とにかくやってみなさい」としか言えない。「やってみればわかるよ」と。「できた」人は、自分で勇気を出してやってみたらできちゃってるから、「できなかった」人にとってどこが難しいか自体がわからない。しかし、これではできない人にはなんのことだから全くわからないらしい。特にゆとり世代にはこれではダメ。

そんな中、今日お会いした方が「欠如と充足」という話しをしていらっしゃった。「充足」とは最初からできちゃう人のできちゃう部分のことらしい。充足している人にとって、充足していること自体が分かっていない。元から自分の身に備わっていることに近いから。いっぱいいっぱいに水を入れられたビニール袋の中の金魚にとってすべて充足しているから、足りない(水がはいっていない)部分がわからない。「欠如」とは自分にそなわっていない部分、力のこと。空気がほとんどで、水が少ししか入っていないビニール袋の中の金魚にとって不足ばかりなので、生きていくにはなんとしてでも「欠如」している水を満たす方法を見いだすしかない。水の「欠如」した状態からスタートした金魚は、ビニール袋を転がして池まで移動するのか、飼い主に話しかけて水を入れてもらう方法を編み出すのか、多種多様な方法を自分で発見して、自分で実行するしかない。しかし、実行できてしまえば「欠如」した状態からスタートしているので、その方法を他の金魚、他の人達に伝えられる。

まあ、いまここかなぁ。どうしたら!"He who can"の充足した状態にみんなを持って行けるか、よくよく方法を編み出したい。あ、これこそ私の「欠如」かもしれない。

いなみに、冒頭の恩師は"Love Story"と"卒業(The Graduate)"がお好きだった。影響されて"The Graduate"はペーパーバックで読んだ。

Love Story

Love Story

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