HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「神は数学者か?」読了

それほど厚くない文庫本にえらく時間がかかってしまった。しかし、これは本当に興味を惹かれる本。文系出身で、「数学知らずの数学読み」な私にはもってこいの一冊だった。

世界は三つあると言う。ひとつ目は私達の意識、感覚がとらえる世界。二つ目は、物質的世界。三つ目は、プラトン主義の天国、数学の世界だ。一つ目、二つ目の世界に「直線」は存在しない。感覚は不正確に過ぎるし、物質でひとつも直線の数学的定義にかなうものはない。数学的世界なんて存在しないだろうと言うだろうと、常識に基づいて語る時、「数学は発明である」と主張するのに等しい。ピタゴラスの定理は、(一つ目、二つ目の世界には)存在しない三角形の存在しない内角の和を問題にしている。それは発明であったと。しかし、単純な序数、幾何学から始まり現代数学に至るまでの数々の所見は見事に、世界の成り立ちを定式化し、操作可能にしてきた。ならば、数学は三つ目の世界を少しずつ、少しずつ発見してきた過程なのか?ならば、非ユークリッド幾何学ゲーデル不完全性定理で明らかになったように、数学の定理すらも選択、操作可能であるのはなぜか?

アインシュタインの言葉がより理解できた。

「数学は、経験とは無関係な思考の産物なのに、なぜ物理学的実在の対象物にこれほどうまく適合するのか?」

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「数学知らず」の私の不正確な言葉よりも本書を読まれることを勧めるが、数学世界の拡大、進化、革命が見事に描かれていた。現在のプログミング言語、ニューラルネットワーク的な人工知能まで、数学世界の申し子であることが、よくわかる。「全ては関数だ!」と叫びだしたくなる。

そういえばギーガンの「ディアスポラ」では、公理どころか物理法則まで異なる世界を無限に遍歴した後、数学的探求に至るという話であった。多元世界よりも数学的世界は奥深いらしい。