HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

高校生は自分で学ぶもの

まったく時期外れになってしまったが、別の意味で坂本龍馬が歴史の教科書から消えるという話しにインパクト感じた。日本があまりに自分の知らない国になってしまっているという意味で。

古い古い三十年前の中学、高校の私が経験したカリキュラムの話しだが、歴史について言えば高校の歴史は中学の歴史の繰り返しだった。そりゃ、細かさなどは違うが、基本同じ日本史、同じ世界史。で、なにが違うかと言えば教えてもらうのと、自分で学ぶことの差だった、私にとっては。中学時代は「いやござれ(1853年)ペリーさん」とか、「いいくにつくろう(1192年)鎌倉幕府*1とか、歴史上のイベントを教えてもらうのが主だった。高校になると、歴史小説などを読み始め、自分で多少は歴史を調べ、「徳川が政権を守るために朱子学を奨励したが、朱子学から水戸学が生まれ、勤王攘夷へとつながった」とか、「欧州列強がインド、中国を植民地支配したが米国は孤立主義で出遅れた。遅ればせながら米国が日本を石炭の補給基地として確保しようとしてペリーが来航した」など、多少なりとも自分でつながりを考え、学んだ。ちなみに、これが米国のそれなりの高校の歴史教育だと徹底的に本を読ませてディスカッションさせるらしい。

高校の日本史、世界史で学ぶ用語を現在の半分弱の1600語程度に減らすべきだとする提言案を高校、大学の教員団体がまとめた。暗記項目を絞り、社会の成り立ちを流れで学ぶ歴史教育を重視する。歴史上の人物では坂本龍馬上杉謙信らも削減対象とされており、教科書会社などの対応が注目される。

歴史教科書、龍馬が消える? 高校の用語半減案 :日本経済新聞

用語をカバーしなければならないという発想ではなく、どうしたら歴史を自分で考えて、自分で理解を深めるかの授業のあり方の問題だと私は想う。そのためには、逆にもっともっと本を読ませ、もっともっと小論文を書かせて考えさせることが大事。用語の数がうんぬんとは、そもそも高校生をばかにしている。用語の数ではない、自分で学ぶ姿勢をつけさせる議論をしてほしい。本末転倒としかいいようがない。

もっと本来の話しをすれば、いま現在においても無理矢理大学に全入させる必要はさらさらないと想う。高校でもう勉強をしたくないという人物であれば、もうそのまま働けばいい。逆に言えば、高校を出れば働けるだけの自分の主体性と、税金や、最低限の法律の知識、文書の書き方を高校では学ばせるべきだ。少々他人事ではない事情があるので、エキサイトしてしまう。

*1:もうこの年代すら時代遅れだそうだ。