HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

総選挙のマーケティング化

以下、政策論争、主義主張のぶつかり合いとしての選挙ではなく、過去から見たトレンドから考えるいわばマーケティング的発想から今回の選挙を考えてみたい。

過去をふりかえれば、現在の状況の原点となるのは、1990年代前半となる。もっとピンポイントで言えば、二大政党制を目指すという大義名分のもと衆議院小選挙区制が導入された1994年、あるいは小沢一郎氏が自民党を割った1993年となる。

その後1994年の公職選挙法改正で衆議院選挙において小選挙区比例代表並立制小選挙区300、比例代表200)が導入され、1996年の衆院選から実施された。

小選挙区制 - Wikipedia

このターニングポイントにおいて、長く続いた1955年体制、つまりは自民党の与党独占が変化するように見えた。まさに、二大政党制に変わる基点になるのかと思えたのが、日本新党の細川首相の誕生であった。細川氏の保守、革新の度合い(ポリティカルコンパス的な尺度)はいまひとつ明かでなかった。それでも保守よりの「受け皿」として日本新党をはじめとする諸党が票を集め、選挙で大勝した。*1その後、政権を取るための小政党の離合参集となり社会党からの首相まで誕生したのは、政治的カオス、社会的べき乗則ブラックスワンであった。

1992年5月に細川護煕が、既成の政治・行政を打破する構想を掲げて結成した。スローガンは「責任ある変革」。
1993年7月の衆議院議員総選挙で35人が当選し、細川が非自民連立政権の首班となって政権交代を実現した。しかし、政治改革実現後の連立与党の分裂により、細川内閣は1994年4月に退陣し、同年12月に自由民主党日本社会党新党さきがけの自社さ連立政権(村山内閣)に対抗して旧連立与党(社会党・さきがけを除く)などが結成した新進党に参加したため、結党からわずか2年半で消滅した。

日本新党 - Wikipedia

90年代前半の自民党における小沢一郎の影響力は絶大なものがあった。そして、小沢一郎小選挙区制支持、二大政党論者であった。すくなくとも、自民党を割って新生党を立ち上げるまではその意思は堅かった。

1993年(平成5年)6月18日、野党から宮沢内閣不信任案が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した(嘘つき解散)。同年6月21日に武村正義らが自民党を離党(新党さきがけを結党)した。これが羽田・小沢派の議員に離党を決断させる一因となり、6月23日、新生党を結成した。小沢は幹事長にあたる党代表幹事に就任するが、党結成の記者会見を行ったとき会場に姿が見えず「党首(羽田)の陰に隠れて暗躍している」との批判を受けた。

小沢一郎 - Wikipedia

もう少し、自民党にとどまり、きちんと選挙制度の改革を与野党協議の上で進められればこの後の日本の政治の混乱は、(いや、自民党内部のというべきか)避けられたようにも思う。しかし、それは現実に起こらなかった。実際には、最大40もの政党が選挙を行い、組み替えが行われるという二大政党からはほど遠い選挙結果が続いた。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

90年代後半のいくつかの選挙で左翼、リベラル勢力としての自民党のカウンターパートナー(受け皿政党)が選挙マーケティングとして可能だと多くの政治家は認識したに違いない。特に社会党が迷走をつづけ、政権与党となるために信条であったはずの自衛隊の存在を認めてしまうという主義主張のない姿勢も迷走を加速させた。あるいは、社会党からの首相という存在もリベラルと左翼的主張のひとつの分岐点となったと位置づけることも可能かもしれない。

2000年代となり第一次安倍内閣に代表されるように、二大政党制への移行という表看板、受け皿政党待望論に基づくマスコミ側からの与党への攻撃と、自民党側の二世、三世議員などの脇の甘さもあり、下屋し、選挙マーケティングにのっとって「リベラル」をうたった民主党が与党となった。小沢一郎も当然これに加わりリーダーシップを発揮した。労組も社会党衰退の中、二大政党の受け皿となる政党の形成をもくろんでいたように想う。

この歴史の果てにある現在の政治的マーケティングバランスの流れ、いわば今後二大政党の受け皿政党待望論は、もう少し保守より、特に保守中道方向、改憲容認側が選挙マーケティング的に「ウケる」位置に立てると予想される。日本経済新聞紙の世論調査、若狭氏と細野氏、そして、「日本の心」までひとつの政党にまとまりかけている様子をみていると、次期衆議院選挙ではこの立ち位置が問われてくるのではないだろうか?自民党副大臣まで加わるとニュースで流れていた。そのほか、民進党からの選挙の落選者、弱小政党で身動きが取れなくなてちる衆議院議員経験者達は、マーケティングの動きで今後新しい政党に加わる可能性がある。今度の総選挙に関するアンケート調査で明確な支持政党がないと答える無党派層が過半をしめる現状では、90年代からの布石である小選挙区制の「一気に変わる(パーコレーション)」的動きからしても、微妙な主張主張の差、マーケティングの効果で大きく選挙結果が変わりうると予想される。

vdata.nikkei.com

以上の議論は、安倍首相が現在の国の危機的な状況でどれだけ必要とされているかとか、どれだけ人間として正しい道を貫いたかなどといって人格的な面からの分析を含まない。単に、一つの極に流れれば、反作用の力が働くという政治をいわば運動のように見るみかただ。たぶん、自民党にはいられない、それでも、政治には存在感を持ちたい政治家が中道あたりに集まってくるように思う。

ちなみに、直接書いてあった訳ではないが、三浦瑠理氏の新書はヒントがたくさん書かれていた。

hpo.hatenablog.com

*1:わずかその数年前、1986年には、中曽根首相の指揮の下、大前研一氏のアドバイスに従って中選挙区における票割りをマーケティング的に行い、自民党が大勝した。そこから、わずか数年でここまで政党体制が変わるとは想っていなかった。 第38回衆議院議員総選挙 - Wikipedia