HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「平時には将を養い、戦時には兵を養う」

亡くなった父が、「平時には将を養い、戦時には兵を養う」と話していた。何度か出典を探してきたのだが、まだ分からない。ただ、今回ぐぐってみて、もしかして、「平時養兵少、戰時用兵多(平時には兵を少なく養い、戦時には兵を多く用いる)」という意味ではないかと思えてきている。探してみたら、台湾のものらしい「e等公務園全民國防教育學堂全民國防教育學堂(公立公園防衛教育学校 国防教育学校)」というブログのサイトが出てきた。

第4題 實施「募兵制」後,基於「平時養兵少,戰時用兵多」的理念,役男的「軍事訓練役」應為期多久?
A.一個月
B.兩個月
C.四個月
D.一整年
標準答案 C

e等公務園全民國防教育學堂 @ 火影輸血醫學部落格 :: 隨意窩 Xuite日誌

Google翻訳と、Excite翻訳を使って翻訳し、修正。

質問4 「傭兵制」を実施した後に、「平時は兵士を少なく維持して、戦時は兵士を多く募集する」の理念に基づき、兵役に服する男子の「軍事訓練」はどのくらい期間にするべきですか?

A. 1ヶ月
B. 2ヶ月
C. 4ヶ月
D.一年

標準回答C

もう少し探してみると、台湾の「国防報告書」というのが出てくる。ここにも、「平時養兵少 、戰時用兵多」が理念だとある。そのあとに、「精簡常備、廣儲後備」と書いてある。これはキャッチフレーズなのでGoogle翻訳も、Excite翻訳もあまり適切な訳にならない。たぶん、「精鋭兵を少数常備し、広く予備(役の兵士)を蓄える」という意味なのだろう。十億の国民を抱える国に二千万人の台湾が立ち向かうのだから、そう言わざるを得ないだろう。

平時養兵少

中華民國97年國防報告書 - 國防報告書編纂委員會 - Google ブックス

前のブログの「募兵制」がヒントなのかもしれない。これは、唐代の制度だそうだ。

唐の後半、府兵制に代わる兵制。
唐の徴兵制度である府兵制は、均田農民に対する兵役の義務をもたせ、そこから徴兵するシステムであったが、農民にとってはその負担は重く、特に首都の警備に当たる衛士と、辺境の防備にあたる防人は何十年も農民を拘束することとなったので、早くから徴兵を忌避する農民も多かった。また、その基盤である均田制の崩壊に伴って府兵によって軍備を充足させることができなくなったため、府兵制に代わってとられたのが募兵制である。723年に初めて兵士を募集し、749年には折衝府を廃止して全面的に募兵制に切り替えた。募兵制は、兵士を募り、その兵士に国家が給与を支払うので、傭兵制度である。

募兵制

もしかすると唐代のなにかの文書には、もう少しこの「理念」が展開されている文書があったのかもしれない。今回はそこまでは探せなかった。まあ、台湾の国防政策を見て、理念としては「平時には将を養い、戦時には兵を養う」は間違いではないようには想う。