性愛がなければ生きられないほど苦しいと感じる人もいれば、恋愛すらも受け入れられないという人がいてもいい。
「アセクシュアル」という単語でことは新しくも感じられかねないが、恋愛、性愛が苦痛だという人は昔からいた。たしか、筒井康隆の「農協月に行く」の中の一遍の中のセリフであったと記憶する。男が女に「お前冷感症だろう」と言い放ち、女が「どうしてそれを!なんであんたにそんなことを!」と絶句して、泣き崩れるというシーンがあった。
冷感症(れいかんしょう)とは、女性において性交欲を感じない状態を言う。
冷感症 - Wikipedia
女性の性交欲は、性交経験を重ねる毎に漸次発現していく場合が多いが、これを欠いている状態を言う。 また体の一部に急激な冷えを感じるなどがある。
原因は、肉体的なものと精神的なものがある。不感症との区別は明確にされていない。
短編集「農協月に行く」は1973年の作品。書いているうちに「脱走と追跡のサンバ」かもしれないという気もしてきたが、これも1971年の作品。
脱走と追跡のサンバ 1971 早川書房→角川文庫 ISBN 978-4041305089
筒井康隆 - Wikipedia
(中略)
農協月へ行く 1973年、角川書店→角川文庫 ISBN 978-4041305140
- 作者: 筒井康隆
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これをSFと読むとスラップスティックになってしまうが、文学として捉えれば村上春樹を超えてはいまいか?小説や映画の壁をなぎたおしていくメタな連続技でいっても、押井守をはるかに先取りしているように感じる。
筒井康隆のインスピレーション - HPO機密日誌
いずれもエログロナンセンス路線。もうハチャメチャだが、どこかで人間の真実をついている。にしても、もう50年以上、たぶんそれより前から「冷感症」という言葉も存在し、それに類する状況の女性も存在した。
話が横にそれたが、性愛について日本は欧米に比べてはるかに寛容。米国のホモセクシュアルに対する嫌悪感は、「感」にとどまらず暴力にまでつながる。日本にもいても、性愛を抑圧することは控えるべき。だが、抑圧を受けることがなければまり主義主張するのもどうかなと。「ひのもとに新しきものなし」、冷感症をアセクシュアルと読み替えることはファッションではあっても、ことの本質を明らかにはしない。