HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

十七清浄句は欲望の否定の否定

仏教は徹底的な否定だ。生老病死を否定するところからお釈迦様の修行は始まった。生老病死の原因である触れることも、感じることも、愛も、執着も否定、否定、否定する。この否定から根本原因にさかのぼり無明、貪ぼり、瞋(いか)り、(愚)痴が見いだされた。この貪瞋痴をいかに否定して、安らかな境地に至るかが示されたのが仏教の悟りの最初であると私は理解している。

般若心経の中の「無」の字、「不」の字の多さを見れば、元々のお釈迦様の説かれた仏教のさらなる否定から新たな境地が生まれた一端が観じられる。無明は無い、十二縁起もない。苦集滅道も無い、四諦もない。心無罣礙、心は罣礙では無い。私には、般若心経はとても過激であると思える。お釈迦様が解かれた基本的な教義の全てに「無」の字がついている。私には般若心経は仏教の教えにおいてとてもアバンギャルドに思えるのだが、このお経が最も唱えられていたり、写経されていることが不思議でならない。

彼岸は理想の国であります。しかも天国のように手の届かん世界でもなく、極楽浄土のように死んでから行くところでもなく、お互いが努力さえすれば、何か方法さえ企てれば行ける世界が彼岸なのであります。理想の世界ではあるが、現実を離れた世界ではない。お互いが工夫サエすれば必ず行ける世界が、向こうの岸であります。これが彼岸であります。 その向こう岸、理想の国に行くという意味が、「波羅蜜」であります。

山田無文師の「般若心経」を読み始める - HPO機密日誌

そして、理趣経理趣経の十七清浄句に至ると、否定を更に否定して、人の生の全てが肯定されている。

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妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸淸淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
愛縛淸淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主淸淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悅淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
光明淸淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身樂淸淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
色淸淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
聲淸淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
香淸淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
味淸淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

理趣経 - Wikipedia

当たり前だが、男女の交合がなければ子供は生まれない。子供が生まれなければ人は一世代を待たずに絶滅するだろう。苦しみの根源を悟るために戒律を守ることは大切だが、苦しみから離れるあまり全ての人間がすべての欲望を捨ててしまってはもはや人間ではない。生きとし生けるすべての生き物は、純粋で清浄な欲望があるからこそ生存できる。お互いがお互いに魅力を感じるから交われる。人間のように本能が壊れ、貪瞋痴にまみれた存在ですら、清浄な欲望があり、人間の根源とともにあるために生きていけるのだ。欲望を貪るのと、清浄に行為することの差を明確には私は示せないが、理趣経と般若心経が示す仏教否定の否定は共鳴しあうものがあるのだと考える。