HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

五倫と治国と教育勅語

和辻哲郎先生の「孔子」を再読している。幼少の頃から父の中国古典を学ぶ姿を見ているので、儒教の基本の基本である「論語」と言われただけで、無条件に受け入れようと私はしてしまう。そこをあえて、原典批判から入られる和辻先生の態度に敬服せざるを得ない。

和辻哲郎先生にかかると孔子の言行を伝える古典はめためただ。司馬遷の(「史記」中の)「孔子世家」も、論語の片言隻語というか、一部の言葉と伝説をまぜあわせたものにすぎないことを見事に立証している。「論語」そのものすらかなり危うくなる。つまりは、現代の私たちが孔子の言葉だと想っているものの大半はのちの人々が作ったものにすぎないのだと。

和辻哲郎の「孔子」の原典批判の徹底ぶり - HPO機密日誌

和辻先生の厳しい原典批判を通した上で明らかになる儒教の本質がある。原典批判を通して、論語の中でも「原始儒教」とも言うべき初期教団の指導方針が述べられている部分が浮かび上がってくる。その中でも、特に五輪について述べられているこの部分が重要だと。

(七) 子夏しか曰く、賢さかしきを賢とうと(尊)び、色を易あなど(軽易)り、父母に事つかえて能よく其の力を竭つくし、君に事つかえて能く其の身を致ささげ、朋友と交わり言ものいいて信まことあらば、未だ学ばずというと雖いえども、吾は必ず之これを学びたりと謂いわん。

この人倫の道が家族生活における孝のみでなく治国を第一に掲げていることは特に注目されねばならぬ。孔子学派における道の実現は前述のごとくあくまでも衷心の誠意をもってすべきものであるが、しかしそれだからと言って人倫の道を単に主観的な道徳意識の問題と見るのではない。人倫の大いなるものは治国である、国としての人倫的組織の実現である。そうしてそれはただまじめで「信まこと」があること、人を愛し衆を愛することによってのみ実現されるのである。

和辻哲郎 孔子

(下線は本ブログ)

子夏の「父母に事つかえて〜」うんぬんは、そのまま中国の儒教の徳目の根本であり、「五倫」と呼ばれ様々に形を変えながら現代まで残っている。この「五倫」の道は、そのまま教育勅語でも語られている。言うまでもないが、教育勅語儒教の根本精神の明治期における語り直しなのだ。

父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ

教育ニ関スル勅語 - Wikipedia

そして、重要なのは、儒教においては、この五倫の道の至る先が「君に事つかえて能く其の身を致ささげ」であり、国をいかに治めるか、結果としていかに平和を到来いたらしめるかにあるということである。つまりは、「修身斉家治国平天下」という儒教の根本スローガンで示されるように、身を修めることが君によく仕え、国をよく治め、天下に平和をもたらすところまで直結しているという信念なのだ。このことは、散々本ブログでも書いてきている。

hpo.hatenablog.com

教育勅語は当時の欧米列強帝国主義からいかに国を守るかという目的で作られた憲法と対をなして考え抜かれた国家方針であった。憲法とは、その政治の綱領であるとともに、一定水準以上の国民の教養と国家への忠誠を前提としている。福祉国家であってもかまわないが、憲法と教育は表裏一体であることに疑いはない。

hpo.hatenablog.com

この憲法教育勅語が示す、近代国家においてさえも五倫の道と国を治める道が一致するという信念は、当時の儒教の教育が身近にあった人々にはごく当たり前に感じられたであろう。もちろん論語士大夫の道であり、庶民の道ではないと言うだろう。しかし、フランス革命が産んだ国民軍、近代の啓蒙主義の精神で言えば、国民はみずからの主であり、みずからリーダーとしての能力、教養を身につけなければ、たちまち国を失い、家や資産を奪われ、家族を守ることが出来なくなってしまう。

教育勅語における「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」とは、明治日本が明治維新以前からの「尊皇」運動の結果として成就されたことと合わせて捉えられなければならない。明治以降、天皇とは国が治まり、平和が実現することの象徴であったと捉えるべきだ。個人と国家の関係において、いかによく生きるかという態度が治国、国の人倫にあふれる統治につながるという認識は日本、中国に特殊ではない。

ソクラテスが)善く生きるために戦うこと、戦った結果として死を正面から迎える姿を、太平洋戦争で散った英霊達と比べてはいけないだろうか?長谷川三千子さんの著作を読んでから英霊たちの態度、そして、一般国民がいかに敗戦を受け入れたかを考え続けている。

英霊とソクラテス - HPO機密日誌

教育勅語はこうした原始儒教、あるいはソクラテスの国家観とも合わせて教えられるべき。そして、五輪と治国の道とは、太平洋戦争を戦った人々の深く考え抜いた上での行動であった、信念であったと捉えるべき。

「教育二関スル勅語」(教育勅語)の教材使用に関する表明について | その他のお知らせ | 教育史学会のホームページ

そんなことより中高できちんと近現代史教育しろと勧告して欲しい。ポツダム政令とかついこの間まで知らなかったよ。研究して来たならきちんと内容まで教育すればいいのに。http://hpo.hatenablog.com/entry/2017/05/03/113921

2017/05/10 06:13
b.hatena.ne.jp

和辻哲郎はあまりに深く日本の歴史の正統性を論じられたがために、戦後左翼知識人から疎んじられた理由がよく分かる。