HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「成田 あの1年」 テロ事件抜粋

成田空港の歴史をまとめた「成田 あの1年」をテロ、ゲリラ活動に焦点を当てて抜粋した。成田空港の評判をこれ以上悪くしたくないというのが本当の気持ち。しかし、昨今の反テロ法に関する議論を見ていると、ほんのついこの間まで、日本国内でもテロ、ゲリラ活動が行われていたことが風化してしまっていることを実感させられる。こっそりと、あげておく。

本書は西暦2000年、平成十二年の暫定滑走路までを扱っている。今回は、残念ながら1985年、昭和六十年までの抜粋。時間があれば、続きを埋めたい。本書は、その時代、その時代の新聞を元に書かれているので、抜粋してもそれぞれの事件のインパクトは伝わるのではないか。

成田あの一年 (ふるさと文庫 (177))

成田あの一年 (ふるさと文庫 (177))

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  • 1965年 

空港立地で混乱。

  • 1966年 

富里空港案が反対運動で事実上撤回される。
6月 混乱の中での成田空港への意見集約。
* ボタンの掛け違い。住民意見を無視した国の意思決定。
6月28日 三里塚空港反対同盟結成
同30日 芝山町空港反対同盟結成。
7月4日 閣議決定
7月10日 三里塚芝山連合空港反対同盟誕生。
社会党が支援、一坪運動指導
12月27日 反対派が芝山町議会議場乱入、機動隊員に阻まれる。

  • 1967年

1月 反対同盟、自動車パレード
* 多くの農家が条件派に転じ、買収交渉に応じた
9月1日 反対同盟集会に中核はなど三派全学連委員長が出席
* 活動家が抗議活動と援農活動
10月10日 機動隊を動員した測量杭内、反対同盟の阻止活動を排除
12月15日 反対同盟は共産党に絶縁状、過激派との結束を強める

  • 1968年

2月26日 中核派が決起集会に参加。角材を手に機動隊に襲いかかる。
機動隊側に300人を超す負傷者。
3月10日、31日の集会と合わせて(第一次成田事件)。
反対派、警察側双方で二千人以上が負傷。二百人が逮捕。

  • 1969年

8月18日 御料牧場閉場式に反対派が乱入、一時占拠
11月12日 空港建設工事現場で反対派座り込み、戸村委員長など13日逮捕。
同14日 ブルドーザーに時限発火装置を使った放火ゲリラ
* 強制収容手続き始まる。アプローチエリアが申請から漏れる不手際。
暮れ 事業認定告示を空港公団が受ける。

  • 1970年

* 反対派土地測量のために土地収用法に基づく強制立ちいり調査開始
反対派は、糞尿を機動隊員に投げつけて抵抗
第二回公開審理で収用委員会長を袋だたきにした。
8月5日 空港公団職員三人が反対派に襲撃され、重軽傷

  • 1971年

2月22日 第一次代執行開始
代執行対象拠点の砦、地下壕に千五百人が立てこもる。
3月5日 三千人の機動隊員が砦撤去。461人が逮捕、千五百人余りの負傷者。
5月 芝山に30mの鉄塔完成
7月 警備会社、警察署、地裁などで爆弾の爆発ゲリラ
9月16日 第二次代執行。機動隊30人が青年行動対、過激派数百人に襲撃。
3人の機動隊員が殉職(東邦十字路事件)。
鉄塔撤去で十一人が重軽傷、学生一人が一時危篤。
過激派が機動隊に火炎瓶による報復ゲリラ。
反対派青年行動隊の一人が自殺。
逮捕者多数。
10月18日 港区のビル内の特定郵便局で公団総裁と警察庁長官宛て小包二つが爆発。
局員1人が重傷。
* 反対派地権者、小泉よね氏に活動家夫婦が養子縁組。

  • 1972年

ジェット燃料パイプライン敷設に反対する千葉市臨海団地自治会連合会結成。
千葉市との交渉も難航。
* テロへの恐れからパイプライン反対運動が高まった。
* 千葉市とパイプライン敷設条件がまとまる。
しかし、公団と運輸省、大蔵省とのボタンの掛け違いで反古に。
* 都心成田空港新幹線計画も反対の機運が高まる。
3月から4月 反対同盟が中国を訪問(日中国交正常化前)
3月 強制収用対象漏れアプローチエリアに60mの大鉄塔建設

  • 1973年

  3年前に銚子上空は飛ばない約束で無線標識を設置したが、
百里基地空域の関係で銚子上空が飛行コースに。
6月18日 銚子市議会で上空飛行反対表明
5月10日、11日 二期工事用地地上物件強制立ち入り調査。強制収用手続き終了。

  • 1974年

公団取得地での反対派の不法工作

  • 1975年

* 成田市職員組合空港開発促進決議等、早期開港の声高まる。
* 市長等成田市代表が三木首相に開港促進で面会。
10月9日 市役所市民課に糞尿が投げ込まれる事件

  • 1976年

* 反対同盟副委員長など主要幹部が土地売却で反対運動から脱落。

  • 1977年

* 福田総理の年内開港の大号令
4月17日 反対同盟員、過激派、市民団体の一万二千人の成田闘争史上最大の集会。
5月6日 鉄塔除去
同日 中核派が空港公団総裁室に乱入
同日 空港周辺で火焔瓶による放火が相次ぐ
5月8日 過激派と機動隊の衝突、催涙ガス水平発射により活動家1名が死亡。
5月9日 芝山町長宅を五十人余りの過激派が火焔瓶で襲う。
警察官六名が重軽傷、1名がその後死亡。
* 千葉市パイプライン問題、銚子市上空飛行問題に目途。
12月26日 小泉氏土地、明け渡し仮処分

  • 1978年

2月4日 反対派横堀要塞増築、四階建てに。鉄塔も建設。
2月6日 県警の撤去作業に火焔瓶で抵抗。
2月8日 鉄塔撤去完了。
3月25日 横堀要塞に再び鉄塔。
3月26日 反対同盟大規模集会。横堀要塞立てこもり、各所でテロ。
管制塔占拠事件。自らの火炎瓶で活動家大学生1名死亡。
5月13日 二週間あまりのスピード審議で団結小屋使用禁止の成田新法公布。
5月16日 戸村委員長と政府関係者の面談を受けて、
反対派幹部会で一切の話し合い拒否を決定。
5月20日 出直し開港
同日 所沢市で航空管制ケーブル切断テロ。
6月29日 パイプラインへのテロ警戒のヘリコプターが墜落、5名死亡。
7月18日 千葉県警空港警備隊組織。最終的には千五百人の組織に。
8月26日 パイプライン問題で千葉市運輸省、公団が協定書調印。
10月16日 自民党が密かに反対派と交渉開始、覚書案交渉継続。

  • 1979年

* 後のシンポ、円卓につながる反対同盟自民党の「六・一五」がまとまる。
* 蚊帳の外に置かれた運輸省のリークにより潰える。
11月2日 戸村委員長病気により死去。

  • 1980年

* パイプライン工事の遅延から公団総裁辞職。
10月12日 「戦う農業」の一環として菱田地区水田暗渠工事着手。

  • 1981年

3月2日 ジェット燃料暫定輸送を担う国鉄、千葉勤労が指名スト。
同日 過激派二百名が成田駅ホームに集結。
3月4日 同じく四百名がホームに集結。機動隊が放水などで排除。
3月16日 輸送列車を狙ったテロ。その後、頻発。

  • 1982年

* 過激派と反対同盟が対立。
* 反対同盟幹部脱落が続く。
9月6日 革マル派、同盟幹部の公団接触批判記事を「解放」掲載。

  • 1983年

3月8日 反対派、北原派と熱田派に分裂。
* 北原派支援:中核派革労協、共産同戦旗派など
* 熱田派支援:第四インター、戦旗・共産同、プロ青同など
6月7日 中核派四街道市内パイプライン関連業者宿舎に放火。
社員2名が焼死。初めての民間人犠牲者。
* 地元から二期工事促進の署名活動等。成田空港対策協議会発足。

3月1日 日本橋の空港公団本社に火炎放射器で放火。
9月19日 永田町の自民党本部に同じく火炎放射器で放火。
11月13日 トンネルから東関道わきパイプラインに穴をあけた。
11月27日 知事私邸、元知事、水野清・浜田宏一自民党議員事務所に放火テロ。

  • 1985年

* テロ活動開港最大のピーク
4月8日 戦旗・共産同が公団工事局ビルに火炎弾六発発射。
4月12日 中核派が成田、羽田両空港に金属弾発射。
成田では直撃を受けた乗用車が炎上。
* 成田用水事業関連業者も軒並みテロ被害。
7月25日 菱田地区用水入札で業者すべてが辞退。
10月20日 北原派全国集会。
同日 中核派など過激派が機動隊と激突。
同日 革労協の消防車に偽装したトラックで空港侵入。爆発。
11月29日 千葉勤労の国鉄分割民営化反対ストに合わせて中核派
首都圏、大阪圏で同時多発テロ
(続く)

改めて、これだけ犠牲者が出ていたいのかとまとめてみて驚愕している。成田空港閣議決定の頃、私は生まれた。成田空港の歴史は私の歴史。この抜粋年表のいくつかの事件は、実際に見ている。本書を読んで国の側のボタンの掛け違い、大きな手違いは確かにあったと理解した。もっと、はるかにスムーズにことを運ぶことは出来たろうと私ですら想う。しかし、もし外部から過激派などが入ってこなければ、犠牲者などでなかった。反対派と言われ、いまも成田空港周辺で農業等に従事している方々こそが、成田空港と周辺の農業は共存しうることを証明している。逆に、数万人、数十万人単位で成田空港は雇用を産み、家族を支え、人を育てている。

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成田の歴史はよくよく国として、国民として学ばれるべきだと想う。