HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「無縁・呪縛・貨幣」読了

安冨先生の「無縁・呪縛・貨幣」が読みたくて、「貨幣の地域史」を初めて図書館でカードを作って取り寄せてまで読んだ。

貨幣の地域史―中世から近世へ

貨幣の地域史―中世から近世へ

本論文において安冨先生は、網野史学に切り込んでいる。網野善彦の史学研究から、定式化された二つの形の矛盾をいかにとらえるかという問題だ。それぞれが具体的な歴史学思考から生まれた定式が形式的には矛盾して見える。

「共同体=有縁」 / 「市場=無縁」

「世俗権力=有縁」 / 「共同体=無縁」

この矛盾を、有縁とは「縁結び」、「無縁」とは「縁切り」と捉えることにより、矛盾ではないと安冨先生は解かれる。ご自身の要約をひかせていただく。

 まず、無縁/有縁という静的な対立の背後に、縁切り/縁結びという動的な操作があることを主張した。人々をつなぐ縁が呪縛がに転じたとき、ひとはその縁を切る衝動に駆られる。この二種類の操作がそれぞれ要素となり、無縁の世界と有縁が構成されているが、その二種類の行為が不可分なものであるのと同じように、その二つの世界は相互に依存する。
 縁切りの衝動を引き起こすものはハラスメントによる呪縛である。これは相手の情動と違う意味を押し付けることによって行われる。それはフィンガレットのいう「魔法」を使って他者に正しく依存することができない者が使う悪辣な手段である。そして呪縛に掛けられた人は、罪悪感にとらわれ、苦しむことになる。
 貨幣とは、この魔法を即席で成立させるための装置だと解釈することができる。この装置を用いることで、人は他者に容易に依存できるようになる。この機能が強い関係性を結ぶ圧力を減じさせるために、「共同体」への脅威となる。しかし、だからといって、貨幣が人々の縁を切るばかりのものなのではない。それは弱い縁を成立させるものだからである。しかし同時に、貨幣さえ持っていれば魔法が使える、と勘違いすることによって、別の呪縛が生じることにもなる。この間違った新年が社会を不安定化する力をも生み出す。

有縁、縁結びは生きていく上で大切なことではあるが、一つ間違えると呪縛となってしまう。徳と呪縛についてフィンガレットの論語の研究から言及されていた。

hpo.hatenablog.com

どこかで読んだことがある議論だなと想ったら、「複雑さを生きる」の構成と同じだなと。

「道徳意識」をどう定義するかに大きく依るのだが、謙譲というか、(道徳意識とは)「学びあうこころ」ではないかと私は思う。自分が自分を最高に大事だと思っているように、相手も相手自身のことを最高に大事に思っているという感覚が道徳の始まりではないか?道徳的に生きるとは、生涯を通じて学び続けることだ。安冨先生の「ハラスメント」の議論は、この自分から相手を学習することにより信頼する能力を悪用する、自分自身を疎外する「邪悪な存在」がいるということだ。

「道徳意識を持つがゆえに、邪悪な存在になることも可能となった」 - HPO機密日誌

2007年なら私はあまり成長していないらしい。本論文にも書かれているが、有縁/無縁、道徳、ハラスメント、に対するアプローチは「貨幣の複雑性」の議論とリンクしている。

「学び合う」という戦略と、「裏切る(ハラスメント)」という戦略において、ゲーム理論に従えば確実に裏切りに軍配があがる。しかし、安冨先生が貨幣と商人をめぐるシミュレーションで明らかにしたように、「一度は相手を信用(学びあう)するが、裏切った相手は二度と信用しない」ことが多数のプレーヤ間の長い時間にわたる戦略においてはドミナントになる。

「道徳意識を持つがゆえに、邪悪な存在になることも可能となった」 - HPO機密日誌

次は、満州関係の希少本を図書館で取り寄せるかな。「満州/貨幣/呪縛」とようやく安冨先生のご研究がひとつにつながって見えるようになってきた。

「満洲国」の金融

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「満洲」の成立 -森林の消尽と近代空間の形成-

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