HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ひな形

街の繁栄は、街のひな形の存在が大きいとこころから気づいた。恥ずかしい話だが、自分にとってとても大きなイベントであいさつをしなければならなかった。いろいろ準備はした。あいさつ文も作った、パンフレットも作った、動画まで作ってしまった。それでも、当日の朝にふと目が覚めてトイレに立った瞬間まで最終的になにを話すか自分でわからなかった。街の柱である伝統が示し続けてくれいているひな形とは、個人、街のお仲間、事業体、そして、行政まで力を合わせれば街が変わるという歴史だ。話はずいぶん前にさかのぼるし、具体的に書かないとわけのわからない話しにしかならないが、ずいぶん昔から街の伝統の中心は革新を何度も実現してくれてきた。自分にとっては大きな事業でも、街づくりの中に位置づけられるこの事業は、このひな形に則ったものであることを当日の朝に自覚した。

この話しを、近しいお仲間との席でお話しすることができた。普通にはまったく訳がわからないであろう話しをお仲間は理解してくださった。ふるさととはとても大事だ。ここで生まれ*1、ここで育ち、ここで学び、ここで仕事をし、ここで恋いをして、ここで家庭を築き、ここで子供をもうけ、ここで年老いていく。そう想える場所こそがふるさとなのだ。そのふるさとになんと力強く、なんと革新的で、なんと現代にでもふるびないひな形があることかと!

感激を二重、三重に新たにした。

*1:実はここで生まれなくても、ここをふるさととすることはできる。そういう事例をいくつも見てきた。また、自分自身がこのふるさとから出たくて、出たくて、高校から寮生活をし、大学はアパートで過ごし、就職は都内にした。それでも、まだ遠くへ行きたくて米国まで留学してしまったほどだ。30で帰ってきた時には、人生の半分した過ごしていない状態であり、まったくふるさと感をもっていなかった。そんな私でもふるさとを再び発見できるのだ。すごいことだと心から想う。