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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「生きるための経済学」再読

小倉昌男氏の「経営学」を読んで、いかに経済学が捨象してはならない人という要素、特にイノベーターによる革命的生産性向上を考慮していないか疑問に思った。そして、「アダム・スミスの間違い」というエントリーに上げたが、いま考えてみるとこれは安冨先生の「生きるための経済学」の劣化コピーに過ぎないと、再読してよくよくよくわかった。

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

hpo.hatenablog.com

目次

重要な論点のツイット

「生きるための経済学」を読みながら、いくつかの論点をツイットした。画像に取ってアップしていた非礼を安冨先生にお詫び申し上げたい。安冨先生がいくつかのツイットをリツイートしてくださったのが救い。

togetter.com

大きな決断よりも日常の習慣効用の計算のための無限の計算量ハラスメント・暴力の問題など、再読して私は非常に大きな、かつたくさんのヒントを安冨先生のご著書からいただいていたことに改めて気づかされた。ご家庭の教養であったのか、ご自身で勉強されたのかわからないが中国古典、論語に対する素養も、私のような「論語読みの論語知らず」と比べては失礼だが、共有する背景だと感じてきた。また、私も、家族からの愛の欠乏、家庭内のハラスメント、離婚、仕事中毒などを経てきた。

仕事中毒問題

ここが最大の問題。仕事中毒になるほど細分化、分業されて始めて生産性が革命的と言えるほど向上する。しかし、それは内面的には「中毒」だと。よくよく考えるべき問題。安冨先生と私の最大の違いなのかもしれない。

https://twitter.com/hidekih/status/843455591272001537

仕事中毒は確かに大きな問題。人間性の疎外であり、自分自身をして自動人形にしてしまいかねない危険性がある。私自身もあまりに仕事が忙しくて、ある会社に入社してからの数年間の記憶が飛び飛びにしかない。いまも回復していない。仕事中毒は、「使命」が自分の腑に落ちていなければ確かに大きな「呪縛」だ。安冨先生は、「創発」の生じる活き活きとした生き方をするためには、「呪縛」から解き放たれなければと論じておられる。そして、安冨先生は地域社会をも「呪縛」であると論じられている。ここが最大の論点だと私は思う。

安冨先生は、すべての呪縛、束縛から逃れるために女装までされるようになられた。私は私の愛する人、大切にしたい人達、更に愛する人達の人間関係、そして、その人達が生きていく環境が視野に入ってきた。私の愛する人達は不可分に地域と結びついている。彼らの幸せを考えれば、地域社会の振興に至ることに気づいた。私と私の愛する人々が属する地域社会に貢献する仕事をめいっぱいすることが自分の真の使命だと十年ほど前に決断した。たまたま、私の場合は自分の住んでいる地域と働いている地域が一緒であり、人と人との関係が大変濃い場所であるので、この決断は大変良好なスパイラルをこれまでのところ、私にもたらしてくれている。地域社会に貢献する仕事をすること、そして、一緒にこの使命を達成する仕事をしてくれている同僚達の物心両面の幸福実現をど真剣に目指すことが、私の愛する人々を守り、養い、誇りと感じてもらえるのだと私の中で決着した。

高橋まつりさん問題の本質。本来長時間労働問題として論じるよりも、安冨先生のおっしゃるエリートの束縛、自己欺瞞としてのハラスメントとして議論されるべきだった。

https://twitter.com/hidekih/status/843452822750343168

だからこそ、高橋まつりさんの自殺と関西電力の課長さんの自殺の問題は、安冨先生にこそ論じていただきたい問題の筆頭となる。私のように意図的に地域に後退し、自縄しているものには、自分の地域社会から離れた仕事のやり方をして仕事中毒となられた方々をどう「解毒」したらいいのかわからない。日本の市場の中心で、エリートの呪縛に囚われたところからどう自分自身を「創発」に向けて解放したらいいのかわからない。

純粋贈与と地域で生きる決断

次に桃知さんの「純粋贈与」のことを論じたい。この認識も安冨先生と私を分けている。私は私から見た「純粋贈与」はさまざまな形で実存していると感じている。先日の「純粋贈与」の話しで「互酬ではないか」とツイットいただいた。ポロメオの結び目の話しだ。私は、ポロメオの結び目の結節点のひとつは「互酬」ではなく「無償贈与」でなければならないと想う。「ポロメオの結び目」は実はネアンデルタール人と私達の先祖を分けた時点まで人にとって普遍的な問題であると私は考えている。


嫉妬がなぜ所有を発生させるのか論じたい。それは、男女間の愛が不完全であるから。桃知さんのポロメオの結び目に戻ろう。

天鬻 - HPO機密日誌
愛と嫉妬が、信頼、所有、法を産んだ - HPO機密日誌

私は、安冨先生が論じられている「生きた経済学」の問題は、最近の進化心理学、人類史の立場から再度捉え直すべき問題であると思える。利己心の問題、疎外の問題、共同体の問題は、人類の発生とともにあったものと思われる。なにをして人類が人類なのかという問いにまで安冨先生の問題は深く切り込んでいる。

愛がなくては生きていけない

さて、安冨先生と私の最大の論点についてもう少しだけ。地域社会で生きることを決断した私にとっての「愛」の在り方だ。いや、「純粋贈与」の関係性の問題だと言うべきだろう。「純粋贈与」の大前提として、その人との全人格的なコミュニケーションにおいてハラスメントも、暴力も、存在しえない。その人とのコミュニケーションによる「学習」で、どこまでも自分を変革していいと想える対象が存在するかどうかがいまの自分の在り方にとって不可欠であると考えている。20年にも渡る配偶者からのハラスメントを経て、いまさら何をナイーブなことをと自分でも思う。いや、だからこそ、自分とその人との関係が互酬であれば、お互いの利害が変化すれば関係性は変わってしまう。相手からの「報酬」を期待するのではなく、できればお互いに、少なくとも自分からは、「純粋贈与」を与えたい対象がいることこそが人生の救いなのだと。「生きるための経済学」に精密に論じられているように、仕事中毒はおろか、蓄財すらも自分への嫌悪、不安、虚栄から始まっている。その通りだと思う。自分の生きる使命を相手に与えてしまうことは、新たな呪縛への始まりなのかもしれない。それでも、この選択に私はかけたいといま思っている。