HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

教育勅語は風刺するものではない

高橋源一郎氏は、いつも人をちゃかした文章を書いて食べている人だという印象がある。それが国だろうと、宗教だろうと、セックスだろうと、この人にかかるとすべてが軽くなる。売文で食べていくのも、ものごとを軽くするのも結構だが、この高橋源一郎氏の教育勅語の現代語訳は最悪だ。

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教育勅語が出された明治23年とは、大日本帝国憲法が施行された年。教育勅語も、「五箇条のご誓文」から始まる日本の憲法の伝統、歴史と合わせて読まれなくてはならない。まず、天皇陛下が自ら誓われた明治の政治体制の原理原則があり、明治憲法が成立した。この時点で発布された教育勅語は、ご誓文、憲法を補う意義があったととらえるべき。*1「教育」とは「教え育てる」こと。天皇陛下が自らの出自、祖先の自慢をするようなものではなく、日本が国としてどうまとまり、どう欧米列強からの圧力のもとで独立を維持していくかの指針を示したもの。国民と天皇陛下との真剣勝負なのだと私は想う。

大日本帝国憲法は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法

大日本帝国憲法 - Wikipedia

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1928年生まれの「チューさん」の現代語訳が、教育勅語を奉読され、戦後を生き抜いてきた世代の方の実感がこめられていて、すばらしい。

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教育勅語と現代語訳

同様に教育勅語に関する戦後の国会の決定がいかなる状況下であったかを理解しなければならない。「チューさん」はこう書かれている。

昭和20年(1945年)8月の敗戦後、日本を占領した連合国軍の最高司令官総司令部(GHQ)は、教育勅語の朗読と神聖的な取りあつかいを禁止しました。ついで占領下の日本の国会では、昭和23年(1948年)6月19日に衆議院が「教育勅語等排除に関する決議」を、参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議し、それに代わるものとして、教育基本法が制定されました。

教育勅語と現代語訳

昭和23年とはいうまでもなくまだGHQ占領下。GHQは「日本にくびきをつけろ」という政策で、戦前のような軍事国家に日本を二度としないために取れる施策はすべて採った。なにせ、日本国憲法を書いた米軍将校自身がのちに「あれはたちまち独立を回復したら全面改正されるものだと想っていた」と話しているほどだ。日本が「普通の国」であれば、憲法も改正し、教育勅語の失効などという国辱的な国会決議も取り消したはずだ。

軍事国家に帰れというつもりはない。また、戻れるわけもない。しかし、これを風刺し、日本の国の伝統を否定し、これまでの歴史を若い人達に否定的に伝えるのはやめてもらいたいものだ。


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*1:-教育勅語と現代語訳
「当時の大日本帝国憲法(明治憲法)では「凡(すべ)テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅(しょうちょく)ハ国務大臣ノ副署(ふくしょ)ヲ要ス」と定められていましたが、教育勅語明治天皇ご自身が国民に親しく語られるお言葉であり、国務に関する詔勅に該当しないものとして、国務大臣の副署を付けない勅語として発布されました。」