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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

アダム・スミスの間違い

目次

アダム・スミスは視点を間違えている。

アダム・スミスは人の倫理性と直接市場をつないで見るべきではなかった。人の生産性向上こそを見るべきだった、声高に訴えるべきだった。「市場」というわけのわからないものにそなわった「神の見えざる手」という神秘の力が市場を成長させたのではない。経済と社会を発展させたのではない。ましてや、アダム・スミスがよく誤読されているように「個人の欲望の解放」が市場のイノベーションを直接にもたらしたのではない。近代以降、人の自由が増し、人が人をより信頼できるようになり、一人一人が自分の仕事に専門特化して生産性を高めたので、結果として「資本主義+自由主義」は成長した。また、その経済環境、社会の豊かさの進展のゆえに「資本主義+自由主義」が、より人が専門特化できる環境を整えた。それ以外のなにものでもない。自分が自分の仕事に対してどれだけ専門特化できるかのみが、人類の経済成長の源なのだ。

自由主義から見ていこう。

自由主義は、個人の創意工夫をもたらす。隷属状態、農奴状態では、イノベーションが起こらなかったのは歴史の当たり前。どこまでの自由なのか、誰からの自由なのか、歴史の変遷にのっとって考えるのはかなり楽しい作業となるだろう。源氏物語の各階層の登場人物たちの「自由」を類推するのも趣き深い。戦国時代と言われる国家間で生きるか、死ぬかの争いをしていた時代の人々の自由も切実であろう。概ね、自由と豊かさは比例していると歴史を概観したときに受け止められる。ここでは、いっそばっさり「より多くの人々に、より多くの自由が与えられた時代にイノベーションが起こる」と仮定しておこう。安富先生のお考えによれば、その時代、その社会の選択肢の多さこそが、豊かさであると。この安冨先生のご指摘は、新しい経済学を定義するに値するテーゼであり、人のおもむくべき未来の方向を包含している。

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実は、自由主義、個人の自由の前提条件がある。自由が成り立つためには、お互いの「信頼」が必須だ。自分が自由であるとは、誰かが明日食べるパンを作ってくれている、そして、それを売ってくれる人がいると信じるから自分の仕事に対して自由でいられる。この信頼がなければ、人の社会とけものの社会の分岐点がなくなる。人の生活はけものの生活となる。自由主義も、資本主義もない。この経緯は、アダム・スミスによって「道徳感情論」で書かれている。

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マット・リドレーも最新の科学の知見に基づき自由の前提である「徳」について論じている。

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自由と徳、倫理、法律は矛盾するとよく論じられるが言葉の遊びにすぎない。先の仮定のように、自由の先にあるもの、人の豊かさとはいかに選択肢が豊富にあるかだという考えに立てば人の信頼の基盤となる道徳、倫理と、人の意思の自由は矛盾しない。様々なルールに従って描かれた芸術、文芸を見れば、ルールの中にこそ自由がある、表現の力強さがあるとすら言えるだらう。経済活動も同じだ。「経営は芸術だ」と、ヒルトンは語ったと聞く。倫理、道徳、ルールがあるからこそ自由は存在する。

次に、なぜ自由だけでなく資本主義が大切か?

それは、部分最適を乗り越えるためだ。ルールが人の真の自由を阻害するときに、そのルールを改定する力となるからだ。なぜ資本は集中されなければならないか?なぜ、絶対王制では足りなかったのか?なぜ、共産主義は滅びたのか?いずれも、自由、選択肢の多様性がなければ、既存の枠組みを超えたイノベーションが起こりえないから。資本の蓄積、イノベーションを可能とする自由と信頼と、それらの源である徳がなければ、起こりえない。人に見えるのは常に部分最適のみ。社会主義計算論争共産主義社会、人が作った法律、ルールの盲進は表裏一体である。

適応度勾配を全力で走り続けるのか?いまこの場所で創造的無能を得るのか? - HPO機密日誌

人と人が法のもとに平等であるのは、長い人類の歴史の中で培われた叡智であろう。しかし、人と人との相互作用は、法体系はもちろん、一人の権力者はおろか一国の法の秩序を担う人々、機関をすら凌駕する。法体系は、部分最適しかもたらさない。「戦争が相手の憲法を書き換える行為」であるならば、人は既存の部分最適でしかない適応度勾配に居続け、淘汰されていくしかない。

真のイノベーターとは?

私は以上のことを、「小倉昌男 経営学」を読んで学んだ。この方こそ真のイノベーターだ。

小倉昌男 経営学

小倉昌男 経営学