HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

人生とは習慣の織物なり

ある若い人と話しをした。習慣がいかに大切かを話した。ふと自分の五十年を振り返ると、人生の岐路にあたってAか、Bかと悩んだ末に出した結論よりも、日々をどのように生きてきたかが大切なのだと気づく。いまの道を選んだ私であっても、何度も挫折しかけた。自分の信じる道だと思って、真剣に取り組んでも誰も認めてくれない長い長い時期があった。それでも、精進しつづけるといつしか誰かが認めてくれる。その中で編み出した、早起きして仕事をするとか、明るく元気にあいさつするとか(どんなに落ち込んでいても)、若い内にとれる資格はとるとか、ごくごく日常的な、とても大きな決断が必要ではない毎日の習慣、小さな変化を作り出す努力の方が大切なのだと思い知る。

つまりは、人生とは習慣の織物だという安岡正篤先生の言葉にたどり着く。

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あれ、「レーベンス・ヒュールンク」ってなんだっけと?

マックス・ヴェーバーの宗教の定義は、レーベンス・ヒュールンク、つまり生きざま、行いの仕方、行動様式---もっとも単なる外面的な行動様式だけではなくて、外面的な行動様式を内面から支えるような心的条件を含めた行動様式(エトス)ですけど---彼の場合は「エトス」という言葉と「宗教」という言葉をほぼ同じ意味に使っているわけです。

[書評]日本教の社会学: HPO:個人的な意見 ココログ版

つまりは、勤労の習慣、日々の礼儀正しさという習慣を身につけ、実践するには、深い宗教的な感情、情熱が不可欠であると。それをどう若い人に教えるかが大切なのかもしれない。