HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「下坐に生きる」 読了

電車の移動の時間で夢中になって読んだ。タイトルの通り「下坐に生きる」方々の生き様を教えていただいた。マザー・テレサに会いに行かれて、神の愛に生きるとは、自分が神に愛されていることを身をもって感じるからこそ、「貧しい人の中でも最も貧しい人に仕える」ことができることを知ったと。

あるいは、中村天風氏の生き方を通して瞑想を通して心を清浄にし、自分を「生かす」のではなく「活かす」ことが、自分が大きなエネルギーにつながるのだと。そのためには、まずは心、そして、言葉から絶対の積極となるのだと。

本書の中の「六然」は、父がとても好きだったと思い出した。

『六然』
自處超然
處人藹然
有事斬然
無事澄然
得意澹然
失意泰然


自分に対してとらわれず、人には和やかに接し、一旦事あるときはてきぱき処理し、事なきときはさわやかに、得意絶頂のときはあっさりと過ごし、失意のときにゆったりと構える。

https://www.amazon.co.jp/dp/4884745116

安岡正篤はその勉強会に来ていた財界人が経済団体や政府の諮問委員会の長に就任したとき、よく色紙に揮毫(きごう)して贈った言葉に、明の崔後渠(さいこうきょ)の「六然訓(りくぜんくん)」がある。

「六然訓」を知って以来、少しでもそういう境地に身心を置きたいものと考えた――安岡正篤師 - 電脳筆写 『 心 超 臨 界 』

よくよく心を清浄にして、得意澹然、失意泰然と、なにがあってもたんたんと生きていけるようになりたいものだ。