HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

意識は言語とともにあり、言語は人とともにある

「ユーザーイリュージョン」をなかなか読みあぐねている。読むまでもなく、自分を内省するだけでも「意識」とは「部下の報告の悪い会社の社長」のような存在にすぎないと想えてくる。

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

「私」という意識のつながりと、発話したり、手を動かしたりする身体全体の行動とが本来一致するわけはないのだ。「私」以前に身体全体のエージェントが共同作業で動いていて、意識に自分が決定していうと思わせるとより先に、手や足や声帯に指令を送っているのでないとタイミングが合わない。いわば、「私」という意識は、事後連絡しかいかない会社組織の「社長」と同じなのだと、彼は言って笑った。

意識の組成 - HPO機密日誌

感覚の方が鮮明だ。意識はぶれるし、遅いし、自意識過剰になるし、ろくなことはない。感覚だけで生きて行けたら、何の悩みもなくなるだろうし百倍いい。では、一体なんのために意識はあるのか?あまりに自明なことなので、誰も言わないが、意識は他の人間と協力するためにある。ようやく気づいた。

「繁栄」の中で(絶滅した)ネアンデルタール人は「分業」できなかったが、(現生人類につながる)クロマニヨン人は「分業」できたという話しがあった。争いを避けるために発生した「礼儀」が互いに尊重し合うことに発展し、「分業」を可能にしたのだと私は信じる。「礼儀」の発生の時から、人の生産性の向上とは比較優位=分業以外にない。分業して、専門性を高める以外にどのような生産性向上の方法を人は発見できたか?冷静に考えてみると、ない。

「礼儀」という比較優位 - HPO機密日誌

残念なことに、感覚だけでは高度な協力はできない。思考実験してみよう。「赤い」という感覚を共有するためには、「赤い」という言葉を持たなければならない。「赤い」感覚そのものは共有できない。感覚を共有できる言葉を持つためには、「赤い」という感覚を言葉として発語するための「主体」が必要となる。協力行動のために単語では足らない。単語を超えて、二語文以上を話すためには、コンテクストが必要となる。コンテクスト(context)は、「共に(con)」と「言葉(text)」から生まれたことは自明。「意識は言葉と共にあり」ということだ。主体がなぜ必要かは、人間の集団において代表者が必要なことを思い浮かべればわかる。そうそう、会社においては対外的に会社を代表するために社長が必要だし、国では国家元首が必要。

こう考えると、社会というネットワークで生きることを選んだ人間には、主体=ノードであるために意識がどうしても必要となった。そして、また言葉と主体と経済はごくごく初期から一体であった。ここで、「経済」とは人間の協力、分業、交換、売買の活動を指す。

ネットワークにおいて、あるノードが果たす役割は、そのノードと同じ瞬間にリンクしている他の全てのノードとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ノードは、他のノードとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するノードには意味がない。

わぁったぁ!!!!! - HPO機密日誌

つまりは、意識とは人と人とが協力するため、コミュニケーションのためにあるのだとようやく気づいた。なんという矛盾だろう。