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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

箱根の山 1日目

彫刻の森美術館を満喫した。流政之さんの作品もあった。

最後に追加した項目-380

ヘンリー・ムーアの作品の前でふざけてみたりもした。

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半日をゆったりとすごすにはちょうどよい規模だった。

彫刻の森美術館

箱根 彫刻の森美術館 THE HAKONE OPEN-AIR MUSEUM - 美術館のご案内 - 館内マップ

よく出てくるこの塔。

最後に追加した項目-384

中に入るときらめく光に圧倒された。

すべての写真-2011

塔の足下の定礎板に「原案 鹿内信隆」とあった。産経グループの鹿内家の悲劇を思い出した。

鹿内信隆は)1963年、同局(フジテレビ)社長。フジテレビ社長時代の1968年、産経新聞社社長に就任した。1969年、箱根 彫刻の森美術館館長・フジサンケイグループ会議初代議長を務め、フジサンケイグループ内で絶大な権力を持った。1974年、郵政官僚出身の浅野賢澄に社長職を譲り、自らは会長に就任。また、ニッポン放送社長を同郷の後輩である石田達郎に譲った(石田の後任は鹿内の大学の後輩である羽佐間重彰で、後にフジテレビの社長も務めた)。


1982年、郵政官僚出身の浅野賢澄にフジテレビ会長のポストを譲った。1984年フジサンケイグループ最高顧問の座に就いた。しかし1988年、長男・春雄の死去を受け、再びグループ会議議長の座に就任した。1990年10月28日、78歳でその生涯を閉じた。

鹿内信隆 - Wikipedia

歴史にもしもはないが、42歳でなくなることがなければ1945年生まれの春雄氏はまだ71歳。日枝会長の独善ももうすこし別の形に収束していたのではないかと想われならない。まして、ホリエモンとの一件も別のより生産的な形で終息していたのではないだろうか?経営者の身体は自分のものではないなと。健康には気をつけないと。

夜は富士屋ホテルの近くに宿泊。よいお宿だった。また行きたい。

すべての写真-2019