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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

古事記と皇統

ようやく読了。日本の皇統が古事記の背骨であると改めて認識した。

現代語訳 古事記 (河出文庫)

現代語訳 古事記 (河出文庫)

特に下巻の皇統の精緻さに驚いた。

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考えてみれば、太安麻呂の「序」にちゃんとそう書いてある。

(天武)天皇の仰せられますには、「私の聞き及んでいるところでは、諸家が先祖から伝え持っている帝紀と本辞とは、今ではもはや真実と違って、虚偽を加えているものも多いという。今においてその誤りを正さなかったならば、幾年も経ないうちに、言い伝えの本旨が滅びてしまうだろう。それは帝紀と本辞とが、国家の行政の根本であり、天子の事業の基礎であるからだ。そこで、帝紀旧辞とが、真実のままであるかどうか調べ、偽りの部分を取り除いたうえ、これを記述して後世に伝えようと想う。」

諸説あるようなので、素人もいいところの私がこの「序」を解釈すべきは判断のすべを持たない。天武帝のこの意思は、自分の正統性を明確にし、ここから「正しい」歴史、政治が始まるのだという宣言に等しい。ただ、間違いなく当時存在した日本の創世神話から推古天皇、ということは天武天皇までの皇統が先にあって古事記が成立したのだろう。推古帝から天武帝まで100年しか経過していない。十分に人々の記憶が届く歴史的なスパンだ。天武帝から現在の天皇陛下まではまた史書にも、明らかに皇統が継続している。これは本当にすごいこと。世界の国の中で、神話と現在の元首が継続している国が他にあろうか?私には思いつかない。

なによりも、古事記の時代の歌謡に見せられた。文字の間から千年前、二千年前の人々の息づかい、歌が聞こえてくるように感じた。手で膝を叩きながら踊る様子など、現在の日本舞踊とはまったく違う踊りや、歌謡があったことを想わせる。山本健吉氏の本書の解説を読むと、ここにこそ本居宣長の仕事の成果があるのだという。

五十になれば古典が読めるようになると諸先輩方から言われてきた。いよいよ五十を迎える今年、古典についてはよくよく学び直したい。