HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「愛は寛容にして」


結婚式披露宴のあいさつを頼まれた。私のような結婚が破綻した中年やもめに頼まなくともいいのちとしばし考えた。考えた末、息子の私から見て誰よりも幸せな結婚生活を送った父に習うことにした。父は結婚式のスピーチに「コリント人への手紙 第一」から引用していた。文語体の翻訳を好んだので、正確には「コリント前書」十三章からだ。

第一コリント 13:4-7


愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、

非禮を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の惡を念はず、

不義を喜ばずして、眞理の喜ぶところを喜び、

凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。

改めて準備してみてわかった。「愛は妬まず」以下は、戒めなのだと。

自分が嫉妬を感じる時、それは愛か?人に、場合によってはパートナーに対して誇り、驕り高ぶる時、それは愛か?無礼な行為をした時、自分のことしか考えられない時、相手に憤った時、人の悪い面しか見えない時、それは愛か?

ああ、愛したはずの妻に妬んだ時、驕りたかぶった時、憤った時、非礼を極めた時、確かにあった。たくさんあった。はからずも、自分にコリント書の言葉がそのまま突き刺さってくる。