HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「昭和天皇の研究」を読み始める

序文の通り、昭和天皇の「自己規定」とはなにかを徹底的に追求している。山本七平の面目躍如たる著作であり、昭和天皇の研究を通して昭和の歴史の本質にせまっている。

昭和天皇の教育についての章を読んだ。倫理の杉浦重剛、歴史の白鳥庫吉らの教育の一端が語られている。

明治9年(1876年)、第2回文部省派遣留学生に選抜されて渡欧。化学を専攻。当初は農業を修めるつもりでサイレンシスター農学校に入るが、英国の農業は牧畜が中心で、穀物は麦で、勉強をしても帰国後役には立たないと気付き放棄した。化学に転向し、マンチェスター・オーエンスカレッジに移り、ロスコー、ショーレマン両教授の指導下で研究に従事。更にロンドンのサウスケンジントン化学校、ロンドン大学等で学ぶうちに神経衰弱にかかり、明治13年(1880年)5月に帰国。

杉浦重剛 - Wikipedia

千葉中学、一高、東京大学文科大学史学科(のち東京帝国大学、現・東京大学)卒業(1886年)。東大在学中はルートヴィヒ・リースに師事。
その後、学習院教授(1886年 - 1921年)、東京帝国大学文科大学史学科教授(1904年 - 1925年)を歴任。更に東宮御学問御用掛として東宮時代の昭和天皇の教育にも携わる(1914年 - 1920年)。

白鳥庫吉 - Wikipedia

英国で生物を学んだ杉浦重剛が倫理を教えて、後に「天皇機関説」をめぐる美濃部達吉を弟子にした白鳥庫吉が歴史を教えているという奇妙さ。戦後の我々からはうかがい知ることのできない明治の重さ、深さがここにあると私は想う。その一旦は、憲法絶対という自己規定であり、西洋には道徳において日本は劣ることはないという自負であると私は想う。いまの私たちからは想像できないほど、自律的で、徳の力、ダイナミズムが昭和天皇の血肉となる教育があったのだと。