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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「真理、自主、平和」

仕事の合間に高校野球、甲子園を見ていた。各校の校歌を多く聞いた。聞いた中で、校歌の歌詞にいくつかの単語が共通するなと気づいた。それが、「真理」と「自主」だった。「高等学校」で学ぶことは、「真理」を追求する学問であると。これはわかる。「自主」も「自主独立」で高校生にもなれば、一応働くことができる年齢であるので、卒業するまでには自分のことは自分で責任を持てるようになろうという意味なのだろう。なるほどと。

どこだか忘れてしまったが、一校「自主」という歌詞の後に「平和」という言葉が入っていた。いまの終戦の日の前の時期にどきりとした。日本国憲法の淵源、日本の神経症的な両極端の史観を考えている私に、「真理、自主、平和」が並立しるうのかと自然に疑問に思った。まして、それをその学校の理念、校風を現す校歌に入れて、高校生に歌わすのかと。次世代に、国の根本に疑念のあるまま「国の欺瞞を真理で突破しろ、属国から自主独立の国になれ、戦争しないで平和を勝ち取れ」みたいな任務をそのまま背負わせてしまったいいのだろうか?

だから、憲法を私たちの世代で改正、いや本当に正統性のあるものにすることが大事だと私は考える。米国にも、中国にも依存せずに、自主独立を勝ち取る自国の国際関係の上での立場、力を築くべきだと。アジアの普通の小国でいいじゃんとすら、そのためには思える。

ちなみに、「平和」と言いながら、多くの校歌が軍歌調であるのはなぜなのだろう?吹奏楽系統の演奏だからそう聞こえるのか?

もっと不思議だったのは、沖縄代表の高校の応援歌に「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲が何度も演奏されていたように聞こえた。沖縄の子どもたちも戦後のルサンチマンを共有してくれているのだろうか?