HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「民は国の本、吏は民の雇」

出張で長岡に着ている。時間があったので、山本五十六記念館と河井継之助記念館をじっくり見せてもらった。

山本五十六のこの書に感動した。展示品なので写真はない。

「国大なりといえども戦いを好まば必ず亡ぶ
天下安らかなりといえども、戦いを忘れなば必ず危うし」
山本五十六

山本五十六の武人としての自分自身の大義はここにあると考えていたのだろう。三国同盟への反対、不戦論へ文字通り命をかけながらも、いざ戦うとなったら自分が育てた航空部隊を率いて徹底的に戦うと。この姿勢の根底には、戦いを好んで行ってはいけない、かといって忘れもならないという腹があったのだろう。現代の日本でもこのことは全く変わらない。

山本五十六も、河井継之助長岡藩の藩風を示す「常在戦場」の書を書いている。文字通り命がけの気持ちで仕事に臨まないといけないと改めて感じた。

もうひとつ、発見は河井継之助のこの言葉。

「民は国の本
吏は民の雇
西人の語を録す 子正主人に為す」
河井継之助

西欧の商人と交流して、日本の「子正」という儒学者のために西欧の民主主義とはこういうことだと語った言葉。武士である使命と、「民は国の本、吏は民の雇」の精神は矛盾しない。この言葉は、「リーダーであれば必ずそのフォロワー、部下後輩の幸福を実現しなければならない。自分がフォロワーたちに雇われているがごとく徹底的にその世話をし、面倒をみなければならない」、と私には聞こえる。盛和塾の「会社は社員の幸福実現のためにある」に通じる。

最後に、展示品ではなく受付に貼ってあった山田方谷のこの色紙の言葉。

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「一国の財は一国の中に生ず
偏有り倚有れば通じ難きに苦しむ
財を通ずる畢竟他術無し
ただ私欲を去りて大公に帰するのみ」
山田方谷

二行目は「偏ったり、誰かに寄りかかる気持ちがあれば、理財の道が通じなくなり、苦しむ」ということだろうか。

長岡にくる度にその人々の真摯さに学びがある。