HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

死にゆくひとへの言葉

死とは死にすぎない。人間として、生物として、活動を停止すること。それ以外のなにものでもない。単なる活動停止に、意味や意義を見いだすのは死にゆく本人ではなく、まわりの人間たちかもしれない。昔の原人でも埋葬の風習があったと聞く。死は死にすぎなくとも、人はそこに来世や、人のつながりの確認、先先へのメッセージ、あるいは宗教的覚醒といった意味を付与したくなるものだ。それくらい、人の死のインパクトは大きい。

翻って、死にゆくひとにどのような言葉をかければよいのか?チベットの「死者の書」を耳元で読み続けるべきなのか?ここにいるから、なにも心配することはないからと声をかけ続けるべきなのか?まだまだがんばれ、元気でいてくれと願うべきなのか?

私にはわからない。死を死そのものとして、受け入れることは恐ろしいことなのかもしれないとは想う。