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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

女は認識が横並びな故に男を愛せる

あるご夫妻とご一緒させていただいた。アートに関して話しがもりあがった。ご夫妻二人とも自動車が大好きで、イタリア車は実にヒップがセクシーだと。このセクシーさのあるデザインはイタリア人しかできないみたいな話になった。イタリア人は、見る女、見る女、すべてをくどこうとする情熱があるからこそ、素晴らしいデザインができると。女に言われて家のゴミ捨てをするようでは、センスが鈍ると。

本当にそうだろうか?男の価値は女に愛されてなんぼかなと。女に見捨てられた男はなすすべもない。

男の集団の中では明確な序列がある。誰がナンバーワンで、だれがセカンド、サードで、だれがどんべか明確に認識が共有されている。女は不思議なくらい、人の序列を意識しない。横並びにしか人を見ない。しかし、横並びにしか評価しないからこそ、女はそれぞれ別の男を愛することができる。戦場でも、戦士を愛すことができる。ノンポリののうなしでも、愛することができる。仕事ができない男は仕事ができないなりに愛することができる。天気のいい日は天気のいいなりに、悪い日にはわるいなり、生活を楽しめる。男の個性に、対応してくれる。

ま、そりゃ、多少の取り合いはあるだろうし、あきらめのあげくの愛かもしれないが。そういえば、某所で若い女性から、「女は自分が愛する男と無理にでも一緒になるのが幸せか、それとも、愛される男と一緒になるのが幸せか?」と質問された。それは、後者だろうと。その若い女性は、「最初はその気がなくとも、相手が私を愛してくれるから一緒にいると、次第にその男への愛が生まれるのよね」と行っていた。女は素晴らしいものだ。

それが、光秀が疎まれる理由。