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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

なぜ色欲は罪か?

リア王」を読んでいて、姦通、寝取り、色欲が罪だとしつこく書いてあった。また、リーガン、ゴネリル姉妹は色男エドガーをめぐって取り合い、お互いに殺し合う様まで描かれていた。性欲自体は人に与えられたもの。男と女の愛と尊敬とセックスは、天の下で人に与えられた恵みだ。しかし、愛と尊敬を超えたセックスへの色欲は、時として人を狂わす。これが罪なのだろうか?

愛欲は強いので心を狂わす(ハルマチア)愛こそが罪だと思います(御言葉をふさぐ)世を愛する者に御父への愛はない。ーエピスミア(情熱愛)で女を見るものは、心ですでに姦淫を犯している。私に従うものは、田畑も、親兄弟も捨てなさい、

http://www.icfforum.com/cbbs/cbbs.cgi?mode=al2&namber=1274&rev=1&no=1

どなたがどのような文脈でおっしゃったのか定かではないが、キリスト教信者の基本的な認識なのだろうと。キリスト教者は、決して色欲から目を背けているわけではないと若い頃に想ったのは、女性の方が色欲、快楽に囚われがちであるので、より気をつけなさいと、教会で聞いてから。不謹慎きわまりないが、なんにでも性欲を刺激されていた私は、聖書、特に創世記のあたりを読んでマスターベーションしていた時期がある。近親相姦、レイプ、女の強奪、色欲から生じる争い、裏切り、殺人など、刺激的な場面が旧約聖書にはたくさん存在する。

仏教でも、性をきちんとみつめた上でこれを戒としているように私には想われる。

仏教でも煩悩の一つとされ、不邪淫戒という戒律も存在する。ただし不邪淫戒は、妻以外の女性と性交渉をしてはならない、という戒である。釈迦の従弟である孫陀羅難陀が、出家後でも妻に惹かれてなかなか悟りを開けなかったエピソードなどがある。このように多くの宗教では、性欲とは女性の容姿に男性が惑乱させられて起こるものと考えられている。

性欲 - Wikipedia

修行のさまたげ、信仰のさまたげになるのなら、結婚すらも肯定されるべきではないとなる。上記の掲示板に書かれているように、情欲がおさえられないための救済措置でしかないと。とすれば、結婚を超えた色欲が罪なのは、制御のきかない色欲の行動に走りがちだからと言うことになる。また、男女の嫉妬心がおさえがたいものであることは事実。私も以前嫉妬心の地獄を経験しているからわかる。

まことに、男女の色欲とは難しい。自分の色欲が自分の修行と使命の達成のために妨げになっていないか、よくよく日々に反省すべきなのだろう。