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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

手塚治虫の無性人間たち

finalventさんの「アポロの歌」についての評論を大変興味深く拝読した。

 この作品が欧米の視点から風変わりに見えるのは、目をぱっちり描いた子ども向けのキャラクターで性と暴力が描かれているからだ。しかし、現在なお欧米からも注目に値するとされ、傑作として評価された理由はそれとは関係ない。あくまで漫画としての作画性やストーリー構成、人間の「性」というものの本質に迫るテーマ性にある。西洋世界と同様、この作品の再評価は現代の日本にも当てはまる。現代の日本人がこの作品を読み返しても、依然、独特のインパクトを持つからだ。手塚治の最高傑作との定評は得られないとしても、芸術家としての彼のもっとも深い一面を描き出していることは疑えない。

アポロの歌(手塚治虫)前編|新しい「古典」を読む|finalvent|cakes(ケイクス)

アポロの歌(1) (手塚治虫漫画全集 (35))

アポロの歌(1) (手塚治虫漫画全集 (35))

アポロの歌(2) (手塚治虫漫画全集 (36))

アポロの歌(2) (手塚治虫漫画全集 (36))

アポロの歌(3) (手塚治虫漫画全集 (37))

アポロの歌(3) (手塚治虫漫画全集 (37))

私も昭吾が愛に気づくラストシーンに何度涙したかわからない。昭吾の、自分の命のすべてをすいとってでも愛する相手を生かしたいという願いについて口にするだけでいまでも自分の中で感情がたかまるのを感じる。id:finalventさんの評論は、この「アポロの歌」の深層に迫っていた。

手塚治虫における愛と死というテーマは広く見られる。そして、「アポロの歌」の書かれた1970年前後に特に集中している。これは、虫プロの倒産だの、公私に及ぶ人生の上の不幸を反映していると私は考えている。

手塚治虫のもうひとつのテーマは、性の無いキャラクター達ではないだろうか?「リボンの騎士」に代表されるように、アンドロギュノス的に男女の性をメタモルフォーゼする作品がいくつか存在する。代表作であるアトムのようなロボットも、実際には性はない。初期のスターシステム中のスター、ロックも男にも女にも変身する。自己愛が強く、愛に対して冷淡だという点では、「バンパイア」のロックは、昭吾の原型であるとさえいえるかもしれない。「人間ども集まれ」にいたっては、そもそも性の無い人間が主役だ。

無性人間は、男でも女でもないが、見かけ上は男でも女でもあり、軍隊やさまざまな職種に利用され、無性人間たちの悲喜こもごものドラマが展開する。無性人間第一号つまり天下太平の長子である未来(みき)という子は、女性の姿でもなまめかしく美しいが(左の絵)、凛々しくも無性人間たちの軍隊による反乱のリーダーとなり、物語はクライマックスへ進む。

手塚治虫のアンドロギュノスたち3

本作品、「アポロの歌」においても女王シグマは本来性はない。「顔と性器がアイデンティティ」としてストーリーは展開していくが、シグマは自ら性器を移植(?)して女になる。昭吾に移植した性器を見せるシーンはいまも私を興奮させる。

性のメタモルフォーゼ、性の無いキャラクターが、手塚治虫のエロティシズムの極致につながっている気がしてならない。最近、手塚治虫の机の中からエロティシズムあふれる落書きが大量に発見されたと聞く。その中にメタモルフォーゼ、無性に関するものがあったかなかったか。

無性であったものが、性を獲得する瞬間は美しい。少女が女になる瞬間。あるいは、少年が無性とも男ともつかない時期。ロリータコンプレックスは、ロリータフェチというべきか。