HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

リア王の痴呆

安西版リア王をようやく読了。劇中でしかも王の言うことなので悲劇なのだが、普通に聞いたらたんなる高齢者で痴呆が始まった段階の言葉。

どうか、なぶらんでくだされ。わしは、馬鹿な、愚かな、老いぼれ。八十の坂を越えーーーそう、嘘も、いつわりもなく。それに正直に言う、どうやら正気でさえないらしい。あなた様も、こちらの方も、何やら、見覚えがある気がする、が、はっきり分からん。第一、ここがどこやら、まるで分からん。この着物も、どう考えても、覚えがない。ゆうべ、どこへ泊まったのやら、それさえ分からん。笑わんでくだされ、どうも、このご婦人は、わが娘、コーディリアのように思えてならんのじゃが。

嵐の中の狂気、荒野をさまよい歩いた狂気の末の一時の正気の時。自分で演じた中でも、特にこのセリフはよく覚えている。実の娘との再会の感動的な場面だ。しかし、文脈から切り離せば普通の痴呆老人のセリフではないか?

先日、改めて自分が演じたリア王を見直した。感じるところが多々あった。高校生の頃は、演じるのでいっぱいで全体のストーリー、劇の構成まで全く感じられていなかった。この芝居は、老いの愚かしさ、忠誠の本当の意味、陰謀、淫欲、裏切り、暗殺など、人生の暗い側面が見事に表現されている。

リア王 - HPO機密日誌

現代社会とリア王を重ね過ぎてもいけない。シェークスピアは芝居を通じて、訴えるべきテーマを見事に伝えている。同じリアのもう少し前のセリフ。

見るがいい、あそこで作り笑いしているあの御婦人を。顔を見れば、股ぐらまで雪のように清らかとも思えよう。貞淑げに取りすまし、快楽という言葉を耳にしただけで顔をしかめる。だがな、イタチだろうと、食い足りていきり立った馬だろうと、あれほど猛り立ってむしゃぶりつきはせんぞ。帯から上は人間でも、神々がお造りになったのは上半分だけ、腰から下は化け物だ。悪魔だ。地獄だ。真っ黒な硫黄の穴だ。焼ける、ただれる。

ちなみにこの場面に舞台の上には女性はいない。よくやる手法だが、独白のセリフの時に観客席の誰かを指さしながら話したのだろう。かなり痛切に人間の欲望の愚かさを批判している。愚かさと老い。痛烈なドラマだが、現在も演じられている。

 まさに仰天人事だった。「伊勢の名物赤福餅」で知られる1707年創業の老舗和菓子、赤福三重県伊勢市)で4月下旬に起こった社長交代劇。臨時株主総会で社長の浜田典保が解任され、新社長に就いたのは実母の勝子(まさるこ)。赤福といえば2007年に長年に渡る食品偽装が発覚し、3か月の営業停止となった記憶がいまだ残る。存亡の危機に立たされた赤福を引き継ぎ、立て直してきた典保は功労者のはず。なぜ解任されなければならなかったのか……

ひび割れた「赤福」 和菓子老舗の仰天人事 :日本経済新聞