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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ミキモト真珠島

たまたま時間があったので、真珠島を訪ねた。養殖真珠をつくる過程と、御木本幸吉翁が養殖真珠技術の開発に至までがよくわかった。

英虞湾内にある神明浦と並ぶ養殖真珠発祥の地であり、全島が株式会社御木本真珠島 (みきもとしんじゅしま、英: Mikimoto Pearl Museum Co., Ltd.) が経営するレジャー施設となっている。島内では真珠工芸品が展示されている他、海女の実演が催される。

ミキモト真珠島 - Wikipedia

1890年(明治23年)、神明浦と相島(おじま、現在のミキモト真珠島)の2箇所で実験を開始した。この時小川多門、猪野三平等が協力した。問題は山積しておりアコヤ貝についての問題、どんな異物を貝に入れるか、貝は異物を吐き出さないか、貝は異物を何処に入れるか、その結果死なないか、貝そのものの最適な生育環境、赤潮による貝の絶滅への対応策等々である。その他の問題としては、海面及び水面下を利用する為の地元漁業者や漁業組合との交渉や役所との折衝には大変な苦労が伝えられている。

(中略)

1893年(明治26年)7月11日、実験中のアコヤ貝の中に半円真珠が付着している貝を発見した。

御木本幸吉 - Wikipedia

発見の直後に苦労をともにした妻、うめの死に遭ったと。それまでの苦労がしのばれる。

また、商売のやり方は祖父から教わったと。累代教育とは、このことだと。

海女の実演も見た。素潜りは私も少しするので、あの装備で長く潜れる技術に関心した。