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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「共同幻想論」を読み始めた

高校生の頃から、何度も吉本隆明さんの「共同幻想論」を読もうとトライしてきたが、果たせなかった。最初の数ページから先へ進めなかった。今回、一気に半分まで読んだ。

吉本隆明さんの本でほぼ唯一読了したのは、栗本慎一郎さんとの対談、「相対幻論」だった。高校二年生の終わりまで理系であった私を文系に転換させた数冊のうちの一冊だった。

私はよほど不器用にできているのだろう。ま、不思議なのはあれ以上吉本隆明への興味が深まらなかったことか。栗本も、RCサクセションも、橋本治も、ポラニーも、山口昌男も、挫折はしても読もうとする努力くらいはしたのに。

「相対幻論」 - HPO機密日誌

それでも、さすがに「共同幻想論」の文庫を買うくらいの「努力」はした。どの辺だったか遠野物語の話しが出てきたあたりで、民俗学なのか、人類学なのかと想ったくらいで挫折していた。なにか私の中で本書は空恐ろしい本だという思い込みがずっとあった。私には理解できない本なのだと。

想えば、糸井重里さんが吉本隆明さんと栗本慎一郎さんの対談を企画した意図はなんであったかを考えれば、「共同幻想論」の方向性は明確であったはず。

本書(「相対幻論」)の前半の対談は、マルクスの労働と貨幣の理論から、文化人類学で扱われるような貨幣の原初形態、あるいはヨーロッパにおけるハイパーインフレの話など、貨幣の生成と消滅がテーマであったと想う。これらの議論は、そのまま安冨先生の貨幣論に具体的にシミュレーションされている現象だと私には思えた。現代日本では貨幣があまりに安定しているため忘れがちな事実だが、実際の貨幣も生成と消滅を繰り返しているのだ。

長谷川三千子さんの「神やぶれたまはず」を読んで、吉本隆明さんへの想いが変わった。

「あの」吉本隆明ですら、こう書いていると。

「わたしは徹底的に戦争を継続すべきだという激しい考えを抱いていた。死は、すでに勘定に入れてある。年少のまま、自分の生涯が戦火のなかに消えてしまうという考えは、当時、未熟ななりに思考、判断、感情のすべてをあげて内省し分析しつくしたと信じていた。」

「神やぶれたまはず」の現人神 - HPO機密日誌

吉本さんは、いかに貨幣が生成し、消滅するかのように、国が(正確には国という「共同幻想」が)生成し、消滅するのかを取り戻すために書かれたのではないだろうか。ともあれ、最後まで読んでよくよく考える。