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HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「リバイアサンの悲劇」

共有地の悲劇」などない。あるのは、政府の不必要な干渉により生じた所有者、利用者の無責任な行為だけだと。

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

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利己的な遺伝子」から説き始められ、様々な動物集団と人間の集団との行動比較を経て、人間の本性に基づいて「共有地の悲劇などない」と主張されるとぐうの音も出ない。ちなみに、「リバイアサンの悲劇」の前には生態学的保護、高貴なる野人への憧憬がどれだけ間違っているかマット・リドレーからこてんぱんにされている。機会があれば、この辺も話題にしたい。

そもそも、共有地の悲劇という言葉を作ったハーディンが具体例としてあげた中世の共有地の事例すら観察が間違っていたと。

英国の森林の歴史を研究しているオリバー・リックハムは、「共有者たちはばかではなく、ハーディンの提示した問題をよく承知していた。彼らは悲劇の到来を予感し、それをなんとか回避しようとしていたのである。(森林の共有権を持つ)株主の一人が過剰開発しないよう、(国家の干渉ではなく共有者の間で)法律を制定した。英国の共有地の荘園記録には、そのような法律があったことがはっきりと書かれており、状況の変化にあわせて(共有者の間で)法の改正もおこなわれていた。

森林の他、水利権、漁業権、放牧権など、さまざまな分野でいわば「組合方式」により当事者の間の調整により長い間共有地の資産価値を保って繁栄してきた例を紹介している。しかるに、実際に乱獲が生じ、荒廃が起こった事例をどう説明するのか?国家が是一体的な権利を主張し、国家統制においてのみ所有権を認めるとなった場合に、無責任が生じるという。これはゲームの理論、囚人のジレンマからも説明できる。自己の所有物に感じる愛着、所有者相互の掟と監視ほどこわいものはない。国家という単位は、「友と敵」で示される政治的な境界以上のものではないのだ。「人は人の欲しがるものを欲しがる」、「周囲の人間の行動を模倣する」という行動習慣によってべき乗則的に形成されるもの以上ではないのだ。誰も心の底から、国会の安寧を願わない。自分の利害を優先するようにサルの祖先と別れて集団生活を前提とした種となったおきから、デザインされているのだ。

実際、江戸時代の繁栄も、町年寄りと言われる組合体制、細かく区分された住民の自治体制によって支えられたと言って過言ではない。そして、この組合自治委託方式は現在の日本にもまだまだ十分に残っている。建設業界という私になじみの深い業界を見ても、組合、協会などが法律にならない法の規制を事実上行って来た。現在は、それがゆるみ法律による規制のみが強調されるので業界が荒れて来たといっても過言ではない。

江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する (ちくま学芸文庫)

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江戸の経済システム―米と貨幣の覇権争い

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あとでもう少し書く。私のエントリーでは言葉足らずだと思う方は、「道徳の起源」の最終章があまりによく書けているので、そちらを。