HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

マット・リドレーの「徳の起源」を読み始める

私はこの本に巡り会い、この本を読むためにブログ活動を10年近くも続けて来たのではないかと感じている。

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

筆者は、「利己的な遺伝子」とは遺伝子を共有する集団からみれば決して利己的などではなく、結果として世代を超えた長期的繁栄をもたらす遺伝的行動であると読み解く。ハチやアリの社会性とは、「利己的遺伝子」であるからこそ社会/集団の長期的繁栄に結びつくのだと。人の「徳」がそうであるように、「利己的遺伝子」こそが社会性を生み出すのだと。個体の快楽や一時的な幸福という短期的な動因では「徳」は説明できないし、人間社会を構成できない。

本来雌である働きアリでも場合によっては卵を生むのだそうだ。しかし、「利己的遺伝子」の原則にしたがって女王アリのフェロモンのついていない卵は他の働きアリに食われてしまうという。なぜなら、姉妹である働きアリの産む卵より、女王アリの産む卵の方が遺伝的に近いからだという。遺伝的に遠い姉妹の産んだ卵はアリ集団を保つ上では不必要であると。つまりは、「利己的遺伝子」の原則に厳密にのっとってアリが行動するからこそ、アリの社会性は保たれている。

こうして、人間の社会性もアリと同様に、「利己的遺伝子」の原則にしたがって「徳」が構成されると言って過言ではないという中間的な結論に達する。驚くべきことに、ほぼ同じ原理によって動物の身体を構成する細胞の分化も説明される。

この視点に立つと、アリの社会も、人間社会も、生物の細胞の分化すらも、枝分かれしていく性質があるからべき乗則が共通して見いだされるのかもしれない。例の動物の3/4乗のべき乗則という性質だ。

たとえば、生物の代謝は体重の3/4乗に比例するのだそうだ。それは、動物の血管のネットワークがフラクタルだからなのだそうだ。

いま気がついたのだが、この絵を下に向ければ木の根に見えるし、上に向ければ木の枝のようにも川の流れのようにも見える。


桃組とべき乗則コラボ勉強会のはじまり、はじまり - HPO:機密日誌

この「枝分かれ」を「分化」と呼べば、マット・リドレーの主張に見事に重なる。このブログのエントリーを書いた頃は、「分化、分業」という視点ではなく、エネルギーの流れという視点で身体と社会のネットワークを捉えていたことは付言しておくべきことだ。

本書によれば、生物の法則性を示す活動の多くは、体内のネットワークで決定されるという。たとえば、生物の代謝については、心臓から毛細血管にいたる分岐の形がネットワークを決める。もし生物の代謝が内部の「物流」ネットワークの分岐の仕方できまるのなら、人間社会の代謝=経済活動も、社会ネットワーク分岐の仕方で決まるのではないか。資源を加工して個人が消費するところまで、逆に個人がお金を払ってそのお金が資源と交換されるまでの各経済主体の分岐の仕方がネットワークを決めるのではないだろうか。

経済の本質は物流か?情報流か?貨幣流か? - HPO:機密日誌

予感にすぎないが、人の社会に徳があるのはべき乗則から導かれる性質かもしれない。わくわくしながら本書を読んでいる。

ただ、大変残念なことに本書の翻訳はあまりよくない。句読点の間違いや、練れてない表現の混乱が各所に見られる。機会があれば、英語版と比べてみたいものだ。