HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「イングリッシュ・ペイシェント」

前々から見たいと想っていたが、機会がなかった。HULUで見つけて観てしまった。3時間近い大作を!

イングリッシュ・ペイシェント [DVD]

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以下、ネタバレあり。




戦時下の不倫関係という意味では、同じレイフ・ファインズが主演した映画「ことの終わり」に重なる。「[[ことの終わり[[」の原作、小説版の「情事の終わり」のように、カソリックの信仰と罪というテーマは本作には出てこない。不倫と嫉妬はたっぷりと出てくるが。

情愛は嫉妬を産む。嫉妬は憎しみにつながる。憎しみは絶望につながる。そこまでは私にもわかる。この物語はその先を語っている。妻とは、遠藤周作の言葉がこの物語にすべてはいっているね、という話しをした。セリフのひとつひとが美しい。原作が活かされているのだろう。

「ことの終わり」を見る - HPO:機密日誌

イングリッシュ・ペイシェント、アルマシー伯爵の生い立ち、地図・国境の意味するもの、戦争へのかかわり、そして、キャサリン、クリフトン夫人との不倫関係。なにひとつ無駄なく、ひとつのテーマにつながっていく。そもそも、タイトル自体が本作のテーマを指し示している。

ひとつのテーマとはなにか?「戦争中の裏切りは平和な時の裏切りに比べると子供だましだ。すべてをたたきつぶす」、なぜアルマシーはこう語ったのか?平時における愛、そう、場合によっては不倫の愛でも、個人的な体験としてピリオドを打てる。しかし、地図、国境によって分けられた国と国という大きな力がぶつかり合うときに、愛は深い罪を産む。

愛は罪なのだろうか?愛は人を生かすものではないのだろうか?はぐくみ育てる力ではないのだろうか?状況によっては、愛は人をたたきつぶす。人に残酷な運命をつきつける。愛する人を失う時に、人は運命の過酷さを思い知らされる。

なぜそう言えるか?自分で体験したからだ。そう、妻と、いや元の妻と一緒に「ことの終わり」を見て、遠藤周作を読んでいたとき、私はジェフリー・クリフトンのように妻の不倫を知っていた。嫉妬に正気を失いかけていた。

どんなに堅固に結び合っているようにみえても、利害がからむとあっというまに崩壊する。いやなものをみてしまった。人と人との信頼はどれだけの困難を耐えたかなのだ。困難が年輪になり、年を刻むのだと思う。どれだけつらい年輪であっても、いや、傷であっても、時に自ら刻まなければ先へ進めない。

人の絆のもろさ - HPO:機密日誌

幸いなことに、日本はまだ平時であったので、ジェフリー・クリフトンにような悲劇を生まずに、ごくごく個人的な体験として収束させることができた。この体験を傷としてしまい、自分の人生の年輪とできなかったのは、私の修行がまだ足りないせいだ。せいぜいが、名前も、顔も、無二の親友も、過去も、国もふるさとも失い、皮肉にも「イングリッシュ・ペイシェント」ととだけ呼ばれる無間に落ちずに踏みとどまれたことを幸いとしよう。