HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

麒麟

太宰府天満宮で、麒麟麦酒のキリンは、長崎のグラバー邸で有名なグラバーさんが天満宮麒麟から名付けたと聞いた。


グラバーは、アメリカ人のコープランドが開いたビール醸造所「スプリングバレー・ブルワリー」が1884(明治17)年に閉鎖に追い込まれると、在留外国人や日本人の財界人など、ビール会社の設立に賛同する資本家たちを集め、その跡地や建物の購入を勧めたといわれている。こうして翌1885(明治18)年、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」が設立した。そして、グラバー自身も設立後ほどなく重役の座に就くのである。
(中略)
ちなみにラベルの「麒麟」は、当時の西洋ビール商標に狼や猫などの動物が多く用いられていたことにならい、東洋の霊獣を商標にしようという意見から採用された。また発売翌年の1889(明治22)年、グラバーの提案により、「麒麟」を大きく描いたラベルが採用され、現在の「キリンラガービール」のラベルの原型となるデザインが完成した。この「麒麟」のマークのビールは市場を瞬く間に駆け抜け、日本の生活文化にビールが浸透する一つの契機を生むことになったのである。

キリンホールディングス_企業情報_キリングループの歴史_ビールとワイン 歴史人物伝_麦酒を愛した近代日本の人々_第14回 トーマス・ブレーク・グラバー
  • 麒麟ビール」発売時に導入された初代ラベルは、朝陽を浴びて、駆け出そうとしている麒麟であった。スプリング・バレー・ブルワリー社時代に製造したボックビール(果実のような芳香や麦芽の風味を重視した高濃度のビール)のシンボルマークの山羊をヒントに、中国の聖獣「麒麟」を組み合わせたという説がある。
  • その後採用されたデザインは、1889年(明治22年)にグラバーの提案(彼は太宰府天満宮にある麒麟像を気に入っていた)でデザインされたと言われているもので、現在のラガービールクラシックラガーのラベルデザインの原型となった。戦中を除いて現在まで受け継がれている。
麒麟麦酒 - Wikipedia

どうも、天満宮麒麟がオリジナルのデザインに直接使われたということではなく、麒麟の採用が既にあってグラバーの提案があったと。