HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「反復する経済思想」

田中秀臣先生のセミナーを興味深く読ませていただいた。経済学の思考がすこし理解できた。

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

20世紀のゼロ年代における福田徳三と河上肇の論争は、現在の経済論争にもそのまま通じているという指摘は重要だ。

福田徳三
 「社会」問題の自明な前提。生産論(生産的社会政策)から分配論へ、日本は自然と到達する。


河上肇
 「社会」問題は日本においては自明ではない。「国家」問題しかありえない。社会政策は放置すれば、生産論(生産的社会政策)のまま。本来の社会政策の不在。

なによりも私にとってサプライズであったのは、この河上の影響が三木清に及んでいたこと。「国民」という人格が日本では問題にならない、「国家」をどうするかしかないという発想は、河上をして生産の非効率の徹底排除へとつながっていく。この影響を三木清は持ったまま戦時経済政策への助言へとつながっていった。

三木清(みききよし 1897〜1945)哲学者、評論家。京都帝大時代に西田幾多郎に師事。38年に近衛文麿の政策研究団体である昭和研究会に参加し、体制内抵抗の道を模索したが挫折。敗戦直後に獄死。

昭和研究会というと尾崎秀実を思い出すが、それは置く。

実は、父は三木清の影響を強く受けたと言っていた。父は強く生産の効率性を重んじた思想の持ち主だ。また、父の思考には本セミナーにある生産性を向上させるための清算主義のにおいもする。進化論の影響下にあるのだろう生鮮主義という、生産性を向上させるためには、弱きもの、分限をこえたものは排除すべきだという考えを感じる。河上ー三木というラインが経済思想上であるなら、その末に父の考えを置くなら、私の中で大変納得するものがある。

人生論ノート (新潮文庫)

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