HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「星が吸う水」

以下、少しネタバレあり。

1979年の生まれの村田沙耶香による20代から30代にかけて、女性の性的な体験とはなにかを追い求めた小説。それはそれなりに面白かった。

星が吸う水 (講談社文庫)

星が吸う水 (講談社文庫)

実は、この中で何度か女性の立ち小便のシーンが出てくる。思い出したことがある。

「こうした風習は長く残り、例えば太宰治の『斜陽』には、貴婦人である主人公の母親が「しんから可愛らしい感じ」で立ち小便をする場面が書かれている。」

私の知人(♀)でこの話しが大好きなのがおりまして、なんど聞かされたことか...

オンナの立ちションはあたりまえだった: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

セックスしていて主人公の女性が自分が女だか、男だかわからなくなるという話しがあった。男性とのセックスそのものでは満足できない。せいぜいが「お互いのペニスをこすりつけてオナニーをし合う感じ」。性的には30になっても成熟していない女性もいる。主人公の純粋なセックスを求める姿勢には、逆に清純さ、未成熟さを感じるのは私だけだろうか?

太宰治の「斜陽」に出てくる「母親」の「立ち小便」は、子どもを生んだ跡でも清純で、未成熟であった母親の性格を際立たせるために挿入された話しだと理解している。そして、女性の清純さ、無邪気さは、あっというまに変質していく。

かず子は「(不倫の子を生んだ)シングルマザー」として、動乱やまぬ戦後社会に腹の中の(やがて生まれてくるであろう)子と強く生きていく決意を上原宛の書簡にしたためる。

斜陽 - Wikipedia