HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

女強人

底辺からてっぺんまでの様々な「中国の女」を扱いながら、見事に中国の持つ矛盾点、マグマのような民衆のエネルギーの向かうところを描いている。

潜入ルポ 中国の女

潜入ルポ 中国の女

特に少数民族の女性の姿に、民主化できない中国の悩ましさを感じた。圧巻は、ツェリン・オーセルへのインタビューだ。

ツェリン・オーセル(tse ring od zer, 茨仁唯色、1966年 - )は、中華人民共和国北京市在住のチベット人作家(国籍:中国)。原籍は東部チベット・カム地方のデルゲ[1]。北京在住の中国人作家・王力雄の妻。

ツェリン・オーセル - Wikipedia

彼女の著作は、文革時代のチベットだ。

 タイトルの「殺劫」には深い意味がある。チベットが中国により「解放」されてから、「革命」はチベット語の「新しい」と「取り替える」という二つの言葉を組み合わせた「サルジェ」というチベット語に翻訳された。そして「文化」はチベット語で「リンネー」という。文化大革命チベット語で「リンネー・サルジェ」、これは漢語の「人類殺劫 renlei shajie」と似た発音になる。

http://talkiyanhoninjai.com/2012/01/21/%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%80%8E%E6%AE%BA%E5%8A%AB%EF%BC%88%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%EF%BC%89%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%81/

そして、オーセル氏の夫君、王力雄さんの視線は一直線にチベット東トルキスタンに向かっている。

1991年から1994年にかけて『溶解権力―逐層逓選制』を執筆し、1998年に出版。1995年から1998年にかけて『天葬−西蔵の命運』を執筆。その間チベット自治区と周辺のチベット人地区を10回旅行し、チベット滞在期間は累計2年に上り、チベット人地区全域を踏破した。[1]
1994年、梁従誡、楊東平、梁暁燕らと中国最初の環境NGO「自然の友」を創設し、中心メンバーの一人として各種のプロジェクトを実施した。しかし、王力雄がチベット仏教僧の死刑に疑義を呈した[2]ことから、当局が自然の友に対し当時事務局長だった王力雄を除名しなければ団体登録を認めず強制解散させると圧力をかけたため、王力雄は2003年に自然の友から除名された。[3]
1999年1月より新疆(東トルキスタン)における民族問題に関する著作執筆のため、新疆ウイグル自治区で資料収集を開始。同年1月29日に新疆自治区国家安全庁(上級機関の国家安全部は旧ソ連KGBに相当する諜報機関)に国家機密窃取の容疑で拘束(法手続きを踏んだ正式な逮捕ではない)され、42日後に解放された。その経緯を『新疆追記』にまとめ、インターネット上で公表。[4] 同年、散文集『自由人心路』を出版。

王力雄 - Wikipedia

このお二人がいかに愛と尊敬を互いに捧げているかは、ぜひ福島香織さんの「中国の女」を読んで欲しい。本書の中でも、私も最も感銘を受けたのはこのお二人だ。

少数民族の妻のいる「民族村」の話しも切なかった。少数民族だと子どもを複数もてるから、人身売買まがいが横行してももらわれてくるのだろうか。

女性の人権運動家の「マギー」への尋問シーンも、中国政府の強硬さを見せつける。

中国が民主化したら、周辺国から分離独立を計ることが火を見るよりも明らかだ。それは中国の国防を危機におとしめると想っているのだろう。そして、国防のためには日本が明日のチベット東トルキスタンにすることを、中国政府はいささかも躊躇しないであろう。

d.hatena.ne.jp