HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

リーダーにできることは腹を切ることくらい

山本七平の「私の中の日本軍」を兵隊根性だと私は書いた。

どうもこの辺にリーダーシップの在り方と兵隊根性の問題があると考えているが結論が出ない。

清瀬一郎氏の「東京裁判」を読み始める - HPO機密日誌

東京裁判」を読み終えて、兵隊根性の反対の極にいるリーダーになにができるのか考え込んでいる。

秘録 東京裁判 (中公文庫BIBLIO20世紀)

秘録 東京裁判 (中公文庫BIBLIO20世紀)

日本のリーダーの在り方は欧米とは確実に違う。たぶん、英国では首相経験者が二間の家に住むことはありえないだろう。いわんや、米国の大統領経験者をや。

ある日ラザルス君(東京裁判における畑俊六元師の米人弁護士)と私はカマボコ小屋からジープに乗って、千葉県の関宿という町に元総理大臣鈴木貫太郎大将をおとずれたことがある。(中略)大将は心持ちよくわれわれを引見せられ、有益な話しがあった。それよりもラザルス君の驚いたことはその生活の質素なことである。お宅は六畳、四畳半ぐらいで一階(平屋)。付近に一畝ぐらいの菜園を作っておられた。日本の海軍大将、元総理大臣の生活はこんなものかと感嘆しておられた。わかれに臨んで大将は、「日本は負けたが、負けっぷりはりっぱにしようと思った」と告げられた。ラザルス大尉にこの意味がわかったかどうか。

じゃあ、兵隊たちは当時どうであったかと言えば、山本七平の描く収容所では、米国誌にのった東京裁判の被告たちがちゃんとごはんを食べてることに憤るほど、ひどい暮らしをしていた。たしかに、銃後で大日本帝国の指導者たちはぬくぬくしているように見えただろう。実際、東條英機自身が「統帥権はおかしい」と遺書の最後に書くくらいだから、参謀本部はあまりに無能だとしか見えないし、無造作に人を犠牲にしすぎたと誰でも思うだろう。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。

東条英機の遺言(全文)・昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前 ( 歴史 ) - 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 - Yahoo!ブログ

記録のためにも書いておくが、今日小野田寛郎さんのご講演を聞いた。1時間半ほどの講義をたったまま微動だにせずに完遂された。90歳のお年寄りには少しも見えなかった。「雨が恐かった」など、おっしゃっていることは山本七平の体験とそのまま重なる。同じ時期に同じフィリピンにいたので当たり前ではあるが。

私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))

私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))

ただ、与えられた任務への取り組み方は大きく違う。「生きろ」という中野学校二俣校で与えられた任務に30年に渡り忠実に戦い続けた。フィリピン出発前には、中野学校ですでに戦力についてつつみかくしのない情報を与えられていたことも大きいだろう。

この違いをもって「兵隊根性」の中身を説明することはできない。

山本七平の主張は論理的には100%ただしい。ただ、それでも「東京裁判」のまさにメインテーマであった「1941年に開戦したことは戦争犯罪か?間違っていたのか?」という問いに対して、正しく答えていない。指導者、リーダーとはいえ、一兵卒と能力的には対して違わない。違うのは、立場が違うだけだ。

私もまがりなりにも指導者、リーダーの立場として、トップについた日から、自分にできるのは自分の組織で起こるすべてのことがらに責任をとることだと決意し、すべての成員に表明した。凡庸でしかない私でも、トップリーダーをしているということは、いつでも腹を切る覚悟があるかなきかだ。

非常に無責任な言い方だが、東京裁判にかけられた戦争指導者がめしをたらふく食っているのは許せない兵士は、飯を食うためなら数十万の兵士に死地に赴けと指令をすることができたかと聞きたい。国の行く末に対して責任を取るだけの腹をくくれたのかと聞きたい。みな、役割でやっていることはわかっていたはず。そこが日本軍と日本の組織の強さだと信じる。